2021年02月08日
〇・2010年4月の頃
〇・2010年4月の頃
☆:2010年4月1日
春が来ましたね。春はいいですね。我が家がそうであるように、多くの介護家族の皆様が待ちに待った季節がきました。晩秋から冬に入る頃の私達親子は「辛い時期になったねぇ」、と毎年のように口にします。スポーツの世界でも世界でも室内競技以外のこの時期はオフ。老若男女を問わずに体力って冬場に落ちますね。
「母ちゃん、桜の季節までは辛抱よ」と私は毎年のように母を励まします。「そうね。冬は嫌よね」、と母。
家計だって冬場の光熱費ってポンっと跳ね上がりますね。エアコンに電気カーペット、それにデロンギのオイルヒーターetc。母は冷風、温風が身体に当るのを嫌う為に夜間のエアコンは消しますが、その代わりに電気カーペットとデロンギヒーターは点けっぱなし・。
特にデロンギは母がデイなどで自宅にはいない時間を休止するように設定していますが、デイから帰宅する30分前には稼動して事前に部屋を暖めて置くように常に24時間タイマーで設定しています。このオイルヒーターは温まってしまえば空気も汚さず快適なんですが、暖まるまでの時間が掛かるんです。
昨年の晩秋からの母の健康への一段の配慮。この冬場にも例年に増していろんな事がありながらも桜の季節を何とか迎えることが出来ました。
★:母が通う熊本市大江の鶴翔苑から一方的な通告が・。
実は、先月の2010年3月18日に「ツヤさんの施設利用時間帯を4月1日より11:00~15:00とさせて頂きます」、と書かれた1通の文書が連絡帳に挟んでありました。差出人は母が通う熊本市大江にある鶴田外科が経営する鶴翔園。
この鶴翔園には感謝する事の方が多いんですが、たった一人の従業者の言動がその施設の信用を一気に失わせるものだという意味で具体的に書いてみたいと思います。
我が家の事情を完全に無視したようなこの一方的な通告に私はプッツン!。鶴翔苑という組織の立場上、文書作成責任者は[通所相談員:O]と書かれていた為に母を担当される地区ケアマネさんを通して猛烈な抗議をしたんですが、文書作成責任者のOとその上司のKは逃げの一手でノラリクラリと・。母担当のケアマネさんを通した一連の経緯を書いてみます。
現在、母は午前9:00前に私に連れられて鶴翔苑入りし、15:00、或いは15:20近くに私が施設まで迎えに行っては帰路に一緒に買い物や散歩をして帰宅する・という日常を送っているのですが、この日常というのは常に新しい月を迎える約1ヵ月半前に母担当の地区ケアマネさんと私達夫婦が一緒になって作成したケアプランというものに基づいた日常です。
勿論、私の仕事の都合がつかずに月に2~3回は私が遅れて15:30近くになって母を迎えに行く事もありました。でも、その際などには延長料金というものが徴収されることになっています。施設の通所部門が閉所されるのは16:00ですから問題はないはずだったんです。
母担当のケアマネさんを通した鶴翔苑からの特段の注文はなく、数ヶ月に1度の鶴翔苑+私達家族+ケアマネのカンファレンスでも何の注意も受けてなかったはずですが、この突然の利用時間変更の通知・。そして、私の驚きと怒り。
★:理に適っていない12日前のケアプランの変更通告
ケアプランの作成提出を家族側には1ヵ月半前にさせといて、鶴翔苑側からのその変更(契約の変更・解除)は実行日の12日前でも構わないとする鶴翔園の考え方自体が福祉に関わる事業を行う組織のやる事とは信じられませんでした。それもケアマネを通さぬ実行の12日前の通告です。私が怒るのはこんな時なんです。
★:鶴翔園のOという通所担当の相談員を通して鶴翔園が挙げた理由は次の点でした。
①:息子さん(私の事)ツヤさんを朝8:20くらいに園に連れて来られ、これは異常に早過ぎる。この時間帯は職員
達が総出で利用者を迎えに出る為、園には人手が足りないから迷惑。
②:その上、息子さんはツヤさんを迎えに来るのが毎日のように15:00を過ぎる。これは逆に遅過ぎるから迷惑、
と・・。
これだけ一方的に言うだけ言っといて、だから4月1日からは、「11:00~15:00の利用時間帯とする」、とは失礼な話です。こんな言い方だと相手次第では命落としますよね。
★:話が違う!。相談員Oによる悪質なデッチあげ・。
朝の8:20と言えば私と母は朝ドラのウェルカメ(当時)を見ている時間帯です。尚、この件では同じ鶴翔園で働くYという介護士さんが「施設職員Oの言うそのような事実はありません。ツヤさん親子が来所される時間は平均して9:00~9:03と逆に遅刻気味です」、と否定して頂いたので決着。つまり、鶴翔園のO相談員による嘘だったんです。うつ病気味の介護職員によくある特有の突然の異常行動みたいです。
もう一点、確かに月に3~4回は15:20を過ぎて母を施設まで迎えに行く事はありました。それに、閉所時間の16:00寸前のケースも年間2~3回はありました。しかし、鶴翔園側のOの言い分は私が母を迎えに園に来るのが基本的に遅くて恒常的に閉所近い16:00頃だ、と・・。
★:そこで、私が取った行動。
私は思わず自宅に保管してあるスーパーの領収書を確かめましたが、そのスーパーで買い物してレジで支払いを済ましている時間は年間平均して15:20。16:00近くになって鶴翔園という介護施設に居る母を迎えに行った私が帰宅途中のスーパーで買物の支払いをしている時間が15:20~35だというのはどうみてもおかしい話です。
それに、16:00近くだったら母はもう清水の自宅で洗濯物畳みと格闘してる時間。しかし、鶴翔園のO相談員は、「毎日、チェックしている」、と・。では、スーパーAceで15:20台に買い物をしている私と母は一体誰だとO相談員に聞きたい。
★:延長料(迎えの遅刻に対する)の徴収は何を意味するんだ?
ただ、「15:00を過ぎても延長料金を頂いているから構わないんですよ。要はデイの閉所時間の16:00までに迎えに来て貰えればいいんです。目安として15:25を過ぎてお母様を連れて帰られる場合を基準に延長料金を頂いています。また、仮にそれ以降の時間であれば3階の入所組のフロアーに移動して頂いて息子さんのお迎えを待つだけの事で、消灯時間の21:00までに迎えに来て頂ければいいんです。そして、その考えの先にショートステイという制度があるんです」、という丁寧な事前説明をこの鶴翔苑からの説明を受けていた筈でした。
要は9:00~15:00の利用ではなく、9:00~16:00(延長料金込み)の利用に契約変更しておけば何の問題はなかったのでしょうが、「母が退屈するだろうから少しでも早く迎えに行こう」、という私の考えがベースにあっての9:00~15:00の利用時間設定だったんです。それを鶴翔園のO相談員が近視眼的な考えで嘘までついて契約内容を変更(契約解除)しようと図ったんだと思います。
★:私の僅かな逆襲=制度的に言えば通所(デイ)利用者の送迎は介護事業所の務め。
ここまで読んでいて既にお気づきの方は首を傾げていると思います。デイ(通所)の際の車での送迎というのは施設側の義務なんです。しかし、「母の送迎は息子である私自身行なう」、というのが私と母の希望だからこそ私は必死になって月曜~土曜と母の送迎をしてきたのですが、原則論を言えば介護事業所である鶴翔園側が母の送迎を行なうのが原則であって、国への請求書類では利用者の送迎を履行(暗黙の了承)しているかのような書き方になっているはずなんですね。
私は母が要介護3になって2年目の頃から母の通所の送迎を私自身が行なっているんです。デイ施設から迎えに来て頂いても、「今日は雨だから行きたくない/若い人に玄関まで迎えに来て貰って私は辛いよ・・」、とそんな母の朝の様子を見て、私が自主的に始めたのが母の送迎なんです。
まァ、帰宅時などはスーパーの売り場を車椅子で巡るのも脳の活性を良くするはずだし、お天気が良けりゃ公園や神社巡りだって出来ますからね。
ケアマネさんに言わせれば、「家族が送迎する分だけでも施設側は随分と助かってて、楽なはず」、と言います。雨の日の朝夕の老人の送迎は大変な事だと私も思っていました。
★:鶴翔苑には再度、言いたい。延長の料金の徴収がなされていて、15:00までに「母を迎えに来い」、とは理屈にあってない。
鶴翔園と交わした利用契約は母が要介護2の頃。しかし、母が要介護3、4、5と介護度が上がってもその都度の鶴翔苑との文書更改の契約書は何故かありません。要介護度に変化がある度に介助点数が変わりますから施設と家族側との確認文書みたいなものがあって当然なんですが、それが一切ありませんから、私達家族側は常に、「これまで通りのサービスだ」、と思う訳ですね。
前述したように、制度上からして[通所の際の送迎は事業所側が行なう]、となっている以上、鶴翔園側は送迎費用を国に請求しているんですね。そうであって、自主的に家族が送迎しているケースに対し、「朝が早過ぎる、帰宅は遅過ぎる」、という虚偽の資料を作成し、それに基づいて、「もう、当施設の利用を止めてください/利用して貰わなくて結構です」、みたいな話に持ち込もうとするのは大問題だと思っています。
★:母の利用時間は9:00~15:00.15:00~16:00は送迎タイム。
「迎えに来るのが遅れる分の料金は徴収している」、とそのような説明を受けていた私は毎月曜~土曜と母を送迎していたのですが、前述したように確かに15:30前後に施設へ母を向かう事もありました。それは「延長料金の徴収がありますから16:00までは構わない。それ以後は3F預かりになるだけ」、という説明に基づいた私の判断と行動でした。
他のデイ利用者のケースをみても「××さんの家族は昨日から旅行中で今日は20:00までは面倒みて欲しいという連絡あり。だから1Fのデイフロアには閉所時間の16:00まで留め、その後は3Fの入所フロアで預かり、その際の延長料金の計算は・」、という申し送りがなされているんです。
★:施設長の実質的不在は問題
鶴翔園の施設長は隣の併設された鶴田外科の院長ですから簡単には話をする事も適いません。この施設長の任じ方にも制度的な問題がありますね。私は他の3箇所の施設を訪ねてお話を聞いた結果、推測ですが次のような事が見えてきました。
①:集団入浴を嫌って自宅で入浴する人(母)からは入浴介助料というオプションを設定できない。
⇒しかし、この鶴翔苑は入浴サービスを利用していないのに入浴介助料が必ず徴集されている。
②:在宅での介護機器レンタルにポイント消費の比重があり過ぎる老人は施設でのリハビリの種類、回数等のオプションが設定し辛い。⇒母の自宅でのリハビリが充実している為、鶴翔苑としてはリハビリ代金が徴集し辛い。
③:要介護5になり、トイレ介助の時間が非常にかかるようになった。
鶴翔苑が持つ不満な点というものが考えられるのはこの大まかな3点でした。
上記の①.②は介護施設としての利益が上がらない。③は突然に立ち上がる、徘徊する・等の危険は減っても1回のトイレ介助の時間が危険で長くなっている・・。こんな事が理由として考えられました。
要するに、「午前中の入浴を利用しないんだったら11:00からの利用にしてくれよ」、とも受け取れます。
しかし、該当月の翌月に必ず家族がサインする確認書の明細を見れば、我が母は鶴翔苑の利用日には必ず入浴介助を受けたことになっていて、鶴翔苑としてはそのサービス提供分の請求を行なっている訳です。ここにデイ施設、Oという介助員の嘘があったんです。
★:よく聞かれる・コト
以前、ある講演会で「要介護5にもなると利用者の動きも鈍くなり、介護上のリスクは減って食も細るはずなのに要介護5になったが故に介助料も食事代もポーンを値上がりするのは制度としては如何なものか・・、要するに世話の焼ける年寄りは面倒が増えるという基準があるんだろう・・」、「介護施設側とすればオプション料の取りにくい動きの悪い要介護5の老人は減らし、要介護3、4の老人の数を増やしたいという思惑があるはず・」、というお話を聞いた事があります。この鶴翔苑の経営上の考えはまさしくその通りだったんです。そうであれば、認可の申請自体を変更すす必要があります。
★:手の平を返す施設側。
この度の、「要介護5になったら、別な特養に行け」、と言わんばかりの鶴翔園の態度・。母が要介護2、3の頃には「ツヤさんは笑顔が美しいから鶴翔園の販促ポスターに使わせて下さい」、と言っていた程でした。私自身、老いを憎むのは当然ですが、たった一人のOといううつ病気味の一相談員の存在ゆえに大江の鶴田外科が運営する鶴翔園に嫌気がさし始めたのは事実です。
☆:2010年4月4日。
★:先月、3月18日の件の続き
諸々の話し合いの結果、「実際の処を検証せず、申し訳ないことを言い出した」、としてこの鶴翔園は11:00~15:00の利用提案を引っ込めました。
しかし、いろんな物証を示してO相談員の嘘を見抜いた私の気持ちは収束はしません。そこで、朝の送りは私が従来通りに行なうのですが、デイからの帰りは原則的に鶴翔園にして貰う事にしました。私は職場から自宅へ先に帰って送りを待つんです。母の帰宅がいつもより遅いようだと、「何やってんだ!」、と言ってもいいのかも・・。
この度の鶴翔園との言い合い・、結局はその程度の事だったんです。
つまり、O相談員の嘘から始まり、私の逆襲としては施設運営の帳簿付けの虚偽記載にまで及んでしまい、鶴翔苑側が「役所へは報告しないでくれ」という形で収束しました。
介護施設にとって、一相談員の全くの作り話がこのような騒動を呼び込んでしまうんです。ただ、ここまでの状態になった私と鶴翔苑の関係です。この時点で私は以前から「私が勤める施設へツヤさんを通わせてください」、と声を掛けてくれる相談員とコンタクトを取り合い、「今後、鶴翔苑の諸介助に問題を見つけれは際には貴女が勤める施設で母をお願いします」という確約は取りました。
★:家族への介護制度の周知が不足している。
私達家族は介護保険証に記述される内容。制度に熟知しない為に読み方はよくは分かりません。35,800ポイントというのはトータルしてのサービス(介助)ポイントらしいという事だけ・。何が基本料金内の介助で何がオプション(有料)なのか、事態が起きてから説明を受けてもサッパリ・・。何がどのように従来とは違うのかが分かりません。
★:介護年金の支給を介護家庭への支給に変更しなければ介護事業所は介護家庭へ目を向けない。
欧州の一部の国で行なわれている国から介護家庭個々への支給・。その支給された範囲内で介護家庭が介護事業所のサービス(介助)を購入するスタイルに変更すべきです。
現在の制度のままだと介護事業所としては利用者の要介護度に応じて国から与えられた介助ポイントの全てを使い切ろうとしますから私の母のように(在宅入浴で)施設での入浴を断る老人は介助ポイントを消費できないから施設を利用して欲しくないわけです。
その一方、私のように家族が老人を施設まで届け、帰宅の際にも連れて帰る家庭は大歓迎だと・。国には送迎をした形で(違法な)請求ができると・、国にはその実態が分かりませんからね。
いろんな問題が生じる時というのは、介護事業所側が利用者、利用者の家族を無視した行動に出た時です。あのコムスン事件だって実際の介護士の数よりも多くの介護従事者を雇っているかの如き書類の作成、或いは無資格の者ばかりの事業所問題もありましたが、訪問介護(居宅介護)に行ってもいない家庭へ一日に3回も行っていろんな介助を行なったかもような書類作成の数々・・。与えてもいない3度のご飯と3度の薬を服用させていたかのような虚偽の書類の作成・・。酷いものです。
★:サービス(介助)の内訳を国が確認できないシステムの放置にも問題がある。
夫婦共働きで昼間は独居状態になった認知の進んだご老人なんて、「あァァ、・・誰かが来たような・・。私はお昼ご飯も、晩ご飯も食べさせて貰ったよ・・。あ・いや・・食べたと思う。ありゃ?」。ってな状態です。こんな家庭に、「3回行こうが1回しか行くまいが分かりゃしない」、という居宅サービス事業所が現実にあって、TVで放映されましたね。
私の母だって、「薬?・・、飲んだよ」、と言った直後、「薬をおくれよ」、と。ご飯を食べた直後に、「ご飯はまだ?。お腹が減ったよ」、と言う日があるくらい・。
結局、「介護事業所は国の方向しかみていない」、という部分に問題があるんです。せっせと働いて納めた介護保険積立金を国と介護事業所で掴み合いして奪い合う姿しか見えません。
★:介護年金の支給は介護家庭へなされるべき。
介護家庭への直接支給であれば、主婦はパートに出掛けずに在宅でご老人の世話ができます。要介護1,2の方々が次々と要支援(在宅待機)に回されていますが、これらは介護家庭への直接支給がなされて始めて打ち出せる政策のはずです。
あのコムスン事件にしても一介護事業所の従業員による内部告発が切っ掛けでした。
★:再び、鶴翔園・。
ケアマネ資格を持つ通所相談員が嘘をついてはいけません。このOさん、いつも顔が浮腫んでいて気怠るそうな表情。お年寄りからの評判も決して良くはありません。
そのO相談員の嘘を証明してくれた介護士のYさんの存在・。この鶴翔園には正悪混在、白黒混在、悪魔と天使が入り混じって働いているようです。
★:私はいけない事を言い、行なっているのだろうか。私の事を嫌がる利用者家族や介護従事者も・。
「毎日の朝晩に貴方がお母さんを連れて来ては帰りも一緒ですよね。その事を毛嫌いしている利用者の家族や介護従事者も居るんです」、という言葉を今回の鶴翔苑騒動の中で聞かされました。「あの人はデイ施設に我が物顔で出入りしている」、と・・。そう思っているのは、O相談員だけ。
「ニホンジンって貧しいなあ」、と寂しくなりました。私が日々のブログで語っている事の多くはこうしたニホンジンの心の貧しさを書いているんですね。
これ程に多様で厳しい時代になったというのに、町内会の住民の団体旅行から一斉清掃という慣習に至るまで明治・昭和の頃の古き慣習に縛られているんです。悪戯キツネに憑かれたように・・。
団体行動、同一行動だけが正義であって、個々の都合や生活状況、個々の信念、人生観、親子感に至るまでが否定されがちなこのニホン、という国・。
「オイ、隣の亭主が炊事してる、アレ、洗濯物まで干してるよ/ホレ、大工仕事まで/ハハ、隣には白アリがいるんだって・」、と。
私の家の周辺には私を単に起用者と言う人。嫁の尻に敷かれてという人。大工さんだと決め付けている人。面白いのは歌手だと思い込んでいる人・。いろんな人が居ますが、もし、日本が何かの危機に陥ったらこいつらはさぞかしうろたえるだろうな」、といつも思います。何故って、他人の生活だけが気になって仕方がなく、己の人生はそっちのけだからです。
「あの人はデイ施設に我が物顔で出入りしている」、と・。この鶴翔園を時折訪れる介護家庭の方々の声があるそうですが、それは勇気のなさの裏返し・・。人の愛情深い行動を妬み、人の勇気を嫌い、人の噂を生き甲斐に、人を批判する事が生き甲斐だという人種はこのニッポンにはとても多い。ぶくぶくと太るだけで100mも全力で走れない連中が何を言いやがる。噂を立てる前に俺の真似の半分でもやってみろ・と言いたいですね。
★:出る杭は打たれる・、でも構わない・。
「俺は杭になる」、と思っても打ってくれる連中がいなけりゃ杭にはなれません。杭になれてこそリーダーシップも取れるというものです。結局、打つ(責める、批判する)だけの側はやがてはその杭に「助けてくれよ」、とすがり付いてくるのではないかと思うんです。
この介護問題、老齢化が進む一方の我がニッポン。やがては韓国・中国と高齢化は国際的にも進みますが、絶対人口が減少し、若者の比率が限りなくゼロになるのが分かっていて策を打てない我が国。
確たる産業の確立もできず、不安定な経済構造と家族構成の中で崩壊していく一方の国民生活・・。一体、誰が誰の世話をするようになるんでしょうね?。
☆2010年4月10日
☆:今日のお袋・・。
居間にまでトントントンと軽快な音を響かせる私の包丁裁き・・。「ちょっとウ、これ辛過ぎよ/甘いよ」、と言わなくて、「フン・、美味しい/アァ、・幸せ!」、と言うようにもなった相変わらず帰宅が遅い嫁。世辞が上手くなったのかな?・。お世辞くらいに仕事場でも瞬間瞬間の難題を乗り越える能力を早く身につけて欲しいものです。
デイから帰宅後の居間で洗濯物を畳む母が、「さて、今日は何のお料理ですか?」、と私に聞きます。「今日は手を抜かせて貰うよ・。えーと、豚肉の味噌漬けがあるから俺達は堅めに焼いて、母ちゃんにはオーブンのトロ火で柔らかく焼いてやるから楽しみにね」、と返事すれば、「そりゃ、楽しみネ」、と言います。
そして、再びトントントンとまな板の音を響かせていると、「何を切っとる音ネー」、と母が・。
「えーと、卯の花炒めを作ろうと思ってニンジンや玉ネギ、ピーマンを小さく切っとる音さ。でも、・・音の数ほど切れはせず、ってとこかな」、と言えば、「ホホ、アンタの腕前じゃそんなもんだろう」、と母の強気の発言・。私は思わずグニャっと。
いよいよ新学年、新学期・・と新づくしの新しい道への第一歩。これまで以上に頑張りましょうね。決して横並びではなく、夢を満ち続け、周囲には差をつけるくらいの頑張りがなければいけません。
入園・入学、入社・・と、たとえこの春はことごとくつまづいたとしても、誰もが新しい環境への第一歩を踏み出す事には変わりはありません。ナニモカモガ・コレマデトハ・チガウンデス。
★:土に帰ろう・
・なんて農業の見直しや海に生き甲斐を・!とか言っては漁業の勧めも目立つ最近ですが、全ての国民が農業・魚業に従事してもどうしようもありませんね。
全国の公立高校受験倍率は昼間で1.04倍?。私立を含めると1倍以下。大学なども全国の国公立私立を合わせると1.0倍を遥かに下回り、全員が入学可能な状態ですって・。
学問や研究に勤しむ若者を育成するのが目的ではなく、学校法人として如何にして利益を残すかというものが強調されるようになり、学問ではなくて学歴だけをつけさせる場と成り下がった大学・。
★:国立系の大学でも価値観が下がっている。
私の野球歴での付き合いがある人の息子さんなんですが、熊本大学工学部3年に在籍する若者が私を訪ねて来ました。
「就職活動をしている中で、『熊大工学部が何なの?まさか、自慢しちゃいないよね。そんな学歴なんかよりも、君がゼミで受けている教授は誰なの?。それに、君が個人的に取得している国家資格等があれば教えて欲しい。次回の面接時にはその国家資格をどのように君の人生の中で生かしていくつもりかを聞かせて貰います』、という質問が増えてきた」、と言うんです。
つまり、その若者のゼミを受持つ教授の人間性や社会的存在感を知る事で若者の将来像の半分以上が企業側には理解できるんですね。だから、ゼミでは担当教授の社会的貢献度を知った上で選ぶべきですね。
それに、国家資格の取得の有無は企業側にとっては学歴以上にその若者の積極性を知る要素になるんだと思います。簡単に言えば、横並びの学歴だけでは通用しない社会になってきているんです。国民総白雉化という言葉が流行した時期がありましたが、現在の国民総大学卒に近い現代では従来のような学歴だけでは個々の資質が計れない世になってしまった、という事なんでしょうね。
産業が育たない国に学歴は不要でしょう。これからの我が国には誠実で力強く発想の豊かな若者が望まれる時代が暫くは続くような気がします。
★:ベンチャー企業系の設立等で成功している者には意外に高学歴者は少ない・。
必ずしも正道とは言えませんが、ルールが無視されがちな資本主義経済の過渡期では常識知らずが無謀に始めたビジネスが成功している例が幾つもあります。ホリエモンが作った組織のようにゲーム感覚で成功するケース、三谷さんの楽天のようにご本人よりも初期スタッフが人間的に充実していて成功するケース。
この2つのケースに共通するのはリーダーシップであり、常に世の中に疑問を持ち、批判する姿勢と能力ですね。
★:高校出てから3年くらい出家し、試行錯誤の中で人生を組み立て社会に打って出るのも・。
いいかも・ですね。世の流れを見ていると、1歩前進2歩後退・のような気がするからです。一体、我が国はどこへ行こうとしているんでしょうね。若者よ、世の波に安易に飲み込まれ、心身に不要な傷を負ってはいけない。
私はよく思うのですが、情報に心乱され、「ついていける/いけない」、と焦るのは自分自身が情報を求めるから・。
情報を求めずにはいられない自分がいて、そして、知ってうろたえる。
でも、情報は刻々と変化します。そして、その情報が正しいとは限りません。今の世は目の前の情報が「いつまで正論なのかが分からない時代」、なんです。
いっその事、求めなければいいんではないかとも思うんです。世の喧騒を避け、隔世の世界に身を置く事と引き篭もりは全く別だと思います。
★:日本再生・・。
多分、この国の教育から福祉関連に至るまでの事業や政策は必ずや行き詰まるだろうと思っています。この国を支えてきた産業が世界に並ばれ始め、追い越されかけているからです。
資源はない・、人は居ない・、リーダーも居ない・。国民はクイズのボタンを押すが如く、政治家の優劣をコノミだけで選ぶ事を選択しようとしています。国民主権のハキチガイ。雨後の竹の子のように乱立する各種の経済団体、政治団体は国民の目の届かない場所で政治家に圧力を・。
★:君のフルサトはどこに。
生れ落ち、与えられたお乳は牛の乳。抱かれあやされ育った場所は託児所に保育所。家族はと言えば両親に子独り・。友達を作る勇気も手段も知らず、妙に懐かしいのは託児所で眠ったお姉さんの胸の中・・。
共働きの母親から、「ごめんネ、夕飯・食べといて」、と渡されたお金で買って食べたハンバーガーは成長ホルモン入り餌で育った肉を挟んだもの・。心は子供のままで身体だけが成長し、性的な欲求だけが先行しては学校帰りの帰宅途中、友人に誘われ覗き見たアダルト動画で一気に変質的な大人に・・。
夕飯の釣銭で買った煙草を始めて吸った時、紫雲の煙の向うに突然に見え始めた人間社会の限界・。「俺は14歳で老いが始まりましたよ」、と少年院という檻の中へ・。
やがて、心身のアンバランスに耐え切れずに引き篭もっては中学を退学・。外へ出る勇気をつけようと社会に飛び出せば互いに無関心な目が異様に吊り上った人間ばかり・・。その上にガツガツとした過剰な情報だけが嫌でも耳に・・。
これは私が野球チームを2つも所有していた頃、「監督、・自分の居場所はここにしかありません」、という会員から実際に聞いた話の一部です。この若者が今年は29歳になるはずです。
☆2010年4月15日
★:現象(出来事)←原因←因縁
近年になって話題になりつつある裁判員制度ですが、昔から犯罪心理学というのがありますね。何故か悪質な超常的猟奇的な事件ほど軽い判決が下されつつあると思いません?。「精神異常をきたした挙句にあのような事件を起こしてしまった」、と精神分析の専門家が言えば罪が軽くなっていたんですね。
でも、罪は罪だと私は思いますね。殺人者が懲役7年以内で出獄するというのは不可思議です。私は死刑そのものは嫌ですが、せめて懲役55年程度。犯罪者に社会復帰は必要ないと思っています。
悪質で変質的な事件になればなるほどに、「育った環境や家庭状況が・・」、等々と根堀り葉堀り憶測憶測で分析され。挙句の果てには、「本人には犯罪を犯した自覚がない」、からと犯罪者ではなく、精神病扱いとなるんですが、・・犯罪というのものが起きる瞬間などというものは、それが起きる寸前までは正常であって、お事件が起きた後に「狂気の瞬間があった」、と解釈されるべきであり、この状態には誰だって入り込む瞬間はあるはずだと私は思っています。つまり、常日頃から精神を病んでいる者も狂気の沙汰は起こすし、常日頃は穏やかで冷静な人間であってさえも瞬間的には正気ではなくなる事は十分にあるはずです。
あの事件を憶えていますか?。十数年という長い期間、自宅の2階に女性を拉致隠蔽していた男の事件です。
街中で女性を拉致する瞬間の男は狂気からだったとしても、その後の十数年間の日常がそうであったとは私には思えず、万が一、そうであればあの男こそが精神を完全に継続的に病んだ者であり、一階下に住んでいた家族こそが一番の異常者ではないかとさえ思えます。冷静に考えれば、家族が警察へ連絡すれば良かっただけのことです。
あの事件の結末はどうなったんでしょうか?。次々と起こる悪質な事件の一方で次々と忘れゆく私達・・。まるで、週刊誌をめくるように、「次はどんな事件だ?」とばかりにどこかで楽しんでいる私達日本人・。これも異常な姿です。
★:精神分析の専門家は、
事件を起こした動機や原因だけを追求しますね。そうした事件を起こさせるような家族構成だった、父がこうだった、母親はああだったと・と。多分、そんな環境なら普通に暮している私達の人生だって似たようなものなんですね。だから、両親が事件と関わりがあるような分析はやめて欲しいと思います。
それを言い出せば、「その当時の日本国家という体制そのものがその事件を起こさせる引き金になった」、と言うようなものに行き着いてしまうからです。
★:目には見えない因縁。・・それは[念]。思い・・。
誰しも反抗期ってありますね。親に対してだけではなく、社会体制に対する反抗だってそうです。私の場合、母親を睨みつける一方で、「あァ、今日の晩メシは美味いなァ・」、「お袋っていいなァ」、って思いながら育ちました。
だから、この矛盾する自分の姿に気づいた時には既に反抗期が終わっていました。だから私の場合、母親に対する反抗期は1日半で終わりました。お腹を満たしてくれる人に対して恨み心を持ってはいけませんよ・ね。
でも、父親に対する反発心は出たり引っ込んだりの連続でした。だって、「我が家から何かが無くなったらお前が盗んだはず」、「我が家の障子を破るのはお前以外はいない」、「我が家の屋根の雨漏りを修理するのは次男の役目。長男には危ないからさせない」、etc。私はそんな環境で育ちましたからね。親父を恨む瞬間って日常でした。
今でも、「あの時の親父の言葉は嘘の塊りで決め付けるだけで俺を責めていたよな」、と思います。だから、「あのような言動は誰に対してもすべきじゃないなァ」、と思ったりしますから、今になってみれば懐かしい父親です。
問題は、思い続ける[念]なんです。恨み続けて解決する事がない念が時として犯罪を呼び込むのです。
父や母に対する恨みの念が、いつの間にか姿を消した両親に変わって世の中に対する念として摩り替り、見知らぬ目の前の他人に襲い掛からせるのです。
持ち続ける恨みの念を自己解決する能力のない者が犯罪を起こすんです。親や兄弟などの家庭環境なんて無関係だと思っています。そうした意味で言えば、私は父親には感謝する部分が多いものです。
多くの場合、そうした念は兄弟や友人達によって解決するのですが、核家族化が進んでしまった我が国では相談相手が居ない・。居ないからヒートアップしたままで軽弾みな行動に出てしまうんですね。一体、生きるってどんな事を言うんでしょう?。
☆2010年4月16日
★:異常なデフレ(物価安)でも客足は遠い・。
始まっていますね。モヤシなんて1袋が¥26なんてザラ。先日は¥19という値をみました。それに豆腐は118していたものが¥36、卵が¥S玉で105していたのが¥98(10個入り)。もっとも、特売日、限定品、1人1個まで・・、といった条件つきではあるんですが、実に多くの品が値を下げてそれぞれのコーナーに並べてありました。
中には、不揃いサイズのニンジン、キュウリ、白ネギ類、ゴツゴツと白い部分の残るイチゴ、それに刺身用のイワシが刺身をとれなくなって煮付けや頭をとってフライ用、ツミレに形を変えたりしたものが所狭しと並べてあったのですが、それでもひと頃に比べたら来店者は少なかったですね。
★:日本人って・。
不揃いのニンジン、キューリやナス・を普段から店に置いとけばいいのにですね。農協が集荷して工場で洗浄・箱つめなどをする際、野菜のサイズが一律でないと箱詰ができなかったり、重量が違って苦情が出るからなんですが、消費者にとってはそうしたクズ(規格外)野菜でも何の問題もないんですが、私などはクズニンジンやクズキューリは糠漬け用に大歓迎です。それにしても、あのクズ野菜を店頭で見る度にデフレ感というものをヒシヒシと感じますね。
★:大量消費を支えて来たカラクリの一つに・・
冷暖房や人工照明を完備したビニールハウス、漁業では養殖がありますよね。この設備には相当の設備費や維持費が必要なんです。そして、こうした野菜栽培や養殖の現場であってもサイズ不揃いの野菜やお魚さんは幾らでもできてしまします。このサイズの違いって人間社会でもありますよね。
生まれた順序のせいなのか、植えられた場所が悪かったのか、それとも人間様の手によって成長の途中で摘み取られた為か、必ず出てくる劣等集団・。まるで、人間社会ですよね。
★:でも、原則論で言えば自然のサイクルを変えた事がデフレを作りだしている一因でもある。
一時期、我が日本には全世界の食料の75%ですか?・・、それもありとあらゆる種類の食料が集められていた時期があると聞きます。それでも不足するからと東南アジアを始めとして外国でも野菜、穀物からお魚に至るまでの食料増産の技術を与えては確かに技術革新の恩恵を与えたはずであり、欧米では遺伝子操作という技術を使って動植物の成長を早めては食料を調達し始めました。
ビニールハウス技術や遺伝子操作技術・・、これらの全てが食糧増産の手段だったのですが、こうした技術を以ってしても、全世界で消費される食料の絶対数が不足していますよね。
★:大量消費を見越した大量生産の裏で
価格と言うのは生産と消費のバランスで決まるのですが、販売価格の安定性を追求した結果、本来は生産されているはずの野菜や穀物、果物からお魚に至るまでのモノの多くを廃棄してまで市場に出回る量を決めていたんです。見栄えがいい、加工し易いという理由。それに、常に消費量よりも少な目に流通させる事による価格の安定です。・・価格調整/生産調整。
★:結局、同じ事の繰返し。資源の無駄な消費だけ・。
クズ野菜にクズ魚と区別なく万遍なく流通していた頃、それで何となく得られていた国民の満足感、幸福感、生活の充実感・。それでも、この地球の何処かではあったはずの食料危機・・。
一方、先進国を中心に大量に生産されて大量に消費される現代の食糧事情・。ビニールハウスで植物の発芽時期を狂わせて多種大量の野菜、穀物、米に果物類を生産。遺伝子操作を行なってまで自然の影響を受けずに育つ植物・。それに、成長ホルモンの投与までして成長を早めさせる養殖技術。それでも、尚、食糧危機が続いているではありませんか?。
市場原理ゆえの価格調整の結果、クズ野菜、クズ魚は勿論、売れ残った高級食材までが破棄される一方では食糧難。この全てが貪欲な人間が作り出した少量調達サイクルなんですね。
★:禁断のリンゴどころではない。我々は禁断の自然サイクルに手をつけてしまった。
貧しいままで良かったんじゃないかと思います。「より美味しいもの、より珍しいモノ。まずけりゃ美味い味に作り変えよう」、と。「渋い柿なんて要らない。最初から甘い柿に品種を変えよう」、「小さい魚はリリースするより加工して缶詰に」、と。
★:植物などは本来の自然栽培に戻せば、収穫期間が限定され、市場に出回る時期が指定され本来の価値が発揮できるはず。
ビニールハウス栽培や遺伝子操作による短期大量栽培を行なうから季節野菜としての価値感が薄れては市場価値も下がるんですね。値が下がるからこそ農民は必死になって別な季節野菜を植えますが、これまた栽培方法は人工生育です。それぞれの季節に合うそれぞれの野菜を植える事が如何にデフレを防ぐかを考えるべきだと思うんです。
最近、よく出回る野菜類を見てご覧なさい。ホウレン草、キュウリ、ナス・・、実に多くの野菜類が短期栽培、継続消費ができるように改造された野菜ばかりだと思いませんか?。そうやって野菜本来の季節感を失わせるから価値感まで失うんですね。特に無謀だと思うのは本来の野菜が持っているはずの薬膳効果を無視している事です。
例えば、サラダ玉ネギ・。今は高価ですが、あれには本来の皮のヌルヌルがあって目が染みますね。あの玉ネギが昔からある品種であって、最近出回っている皮のヌルみのない品種は改良された品種なんですね。
ホウレン草だって本来は根元が赤く、葉も厚くて日持ちのしないのが特徴なんですが、最近のホウレン草は日持ちがするように葉肉も薄くて日持ちがする品種が主流ですね。こうした品種改良の行なわれた野菜類がいつの間にか主流になってしまいました。皆さん、この観察眼というものは時の推移を知る上で本当に大切な事です。
以前のブログにも書きましたが、現在は世界中で雌雄一体の魚介類が増えているそうです。特に、貝類などは移動する距離が短い為、港に停泊する船舶や養殖網や魚網に使用されるフジツボ剥離剤や塗料などに含まれた高濃度のホルモン剤が海水に溶け出した影響をモロに受けてしまうんです。
この剥離剤や塗料に含まれる成分とは女性ホルモン剤です。つまり、1個のフジツボの精子で何億というフジツボを誕生させる事ができる訳ですから、・それを出来ないようにするにはオスフジツボをオスとして成長させない。つまり、オスの機能を持たせなければいいじゃないか、という理屈ですね。
そのホルモンの影響を受けたフジツボや貝を餌として食べた魚、その魚を襲っては食料とする魚・・、という食物連鎖の結果、私達の身体には知らないうちに大量の女性ホルモンが蓄積してしまうんです。それに、養殖場でも早く出荷させる為に成長促進ホルモンが使われています。
定期的な取り締まりはあるようですが、公共施設の消防訓練同様、事前通告というのが我が国の慣例ですから、「どうにで誤魔化せる」、と・・。問題は、「そんな事を徹底されたら、日本の食卓に上がる魚介類の数が減り、価格も上がってしまうゾ」、と知人の養殖業者は反論さえします。第一、街中を歩く日本人のブクブクと太った姿を見てくださいよ。あれが女性ホルモン剤を使った飼料でそだった野菜や肉魚を食べた結果であり、「太っている割に貧血が多い」と言われる地球人の姿であって、100mと全力では走れない現代人の姿です。
★:野菜の話に戻して・
太陽の下で育てる季節ごとの野菜であれば育つ期間、出荷する量も期間も限定されます。勿論、クズ野菜は出ます。対して、人工灯や空調の下で育てる野菜は大量・多品種が短期間で収穫可能になりますが収穫が多過ぎて市場価値が下がります。価格が下がらないように破棄します。
でも、この破棄した分やクズ野菜にだって光熱費は注がれているんですね。実は、この破棄する分の経費を回収する意味でも過剰な量の破棄をして常に出荷する野菜の量を需要量よりも少なく出荷しなければいけません。
今日のスーパーで見掛けた野菜の高い事。アスパラガスが3本で¥250、キャベツが半分カットで¥180・・、天候不順が原因と言いますが、キャベツ類は地植えですから仕方がありませんが、明らかにビニールハウス育ちのはずの野菜類までが一緒になって値が上がっていました。デフレとインフレが混在する時代・、専門家は危険な兆候だと言いますね。
☆2010年4月17日
★:山椒、春菊
スーパーでは3mmほどの貧弱な葉を左右で10葉ほどつけた山椒が5~6枚で¥200近くしますね。ウナギにも素麺にも竹の子やナスの味噌和え、冷奴にもお吸い物にも・。いろんなものに似合う山椒・。この山椒ですが昨年の我家の庭では全く元気がなかったのですが今年の庭では凄い勢いで芽を出し葉をつけています。一昨日も、昨日も今夜も我家の食卓に山椒の香りがプンプン・ププン。この山椒は雌雄別体で、雌の木が実を付けてその佃煮が作れるんですが市販される苗は雄の木が多いようです。
夕飯の途中、「母ちゃん、庭で山椒をとってくるよ/ミニセロリもとってくるよ/パセリをとってくるよ」、「すぐに戻るから座ったままで楽しみに待っとってね」、と。「楽しみに待っとってね」、と言えば母は約束を守って動こうとはしません。
我家には香菜が一杯。春菊などはひと雨毎に背丈をグングン伸ばしますから食べるのに必死です。とは言っても、植えているのは脇役ばかりですからね。春菊などは熱を加えればシュンと小さくまとまってしまい味噌汁のサブ的存在。
でも、朝に夕餉に多いに助かっています。ミニセロリやパセリなどはハンバーグやイモサラダではいい役割を果たしてくれています。昔から玉子焼きにはニラとか言いますが、あれが嫌いな人はミニセロリ、パセリを入れるといいですね。
★:最近の天候不順
桜が終わって花ミズキが咲き、余りの陽気に気の早い菖蒲が、「もっ、・・出番かしら?」、と開き始めたかと思うとアレレっ、一転して雪が・。25度の夏日を記録したかと思うと雪が降ったり・。最近のお天気は何か変ですよね。言動がクルクル変わる人のことを、「お天気屋さん」、って言う意味がよく分かります。
「今日は昨日とは違っていいお天気よね」、と私。
「私はガッコウで勉強しているから外が晴れだか雨だか分かりゃしないよ」、と母・。
「??、あァ、そうそう。そうか、ガッコウの中にばかり居ては外の事が分からんよね」、と私。
「そうさ。勉強ばかりしたからって貰いが多いちゃ限らんからネ。世の中の事も知っとかんと・」、と母。
「モライ?・・あァ、貰いね。外に出てこそいい事と出会える事があるって事ね」、と私。
★:最近は母本来の陽気さが戻ってきた&メリハリの利いた母との会話。
暖かくなってきたからか、最近の母はとても陽気になっています。これには天候以外の理由があるんです。この数ヶ月の間、私自身がメリハリの利いた会話を試みているのも効果を上げているのかもしれません。例を挙げると・・。
母の言葉や態度にダラシナイ、投げやりな言動があった時には激しく注意をします。正悪・白黒の問題ではなく、私という人間が母にとって優しいだけじゃなく、激しい厳しい人間でもあるという事を理解してほしいんです。
車椅子から居間の座椅子に移る際にも、「はい、テーブルに両手をついて!。次は後ろの椅子の肘掛を両手で掴んで!。はい、自分の身体を両手で支えながら座って!」、という感じです。
また、料理の盛り付け、洗濯物畳み・等をさせる際には、「無理せんでいいからね。やれるだけやって疲れたらやめてもいいから」、と頻繁に私の気持ちを伝えながらやって貰っています。
テーブルから立つ、車椅子から座椅子に写る際、ベッド横に立たせて衣服を着替える際などには厳しい態度で接するようにしています。この厳しさと優しさの分岐点というのは母にとっての危険点でもあります。
「今の俺はアンタを支えちゃいない/失敗したら転倒や骨折などの命の危険があるんだ」、という事を身体で理解して欲しいからです。
それに、最近ではトイレの母がテッシュを使おうが手を洗うまいが見逃すようにしています。綺麗・汚いは危険とは直結しませんからね。母が用を足している間に私が濡れタオルを作っておけばいいだけの事です。
★:中敷きパッドの使い分けは大事
母の日常で一番大きく変えた処はと言えば、数種類の中敷き(尿取りパッド)を使い始めた事です。
就寝前にはレギュラーサイズではなく、左右にフリルのついた幅広のパッドを使うようにしました。これで大量失禁があっても紙パンツにまで溢れ出る事が少なくなり、夜間の作業が楽になっています。
夜中に母が起きた際、排尿前なのか、既に失禁した後か?。トイレの便座に座った後の母が排尿をしたか否か・、もポイントになります。失禁して起床したからトイレでの排尿はないだろうというのは早計ですね。それに1回の排尿の量が多い時は2回目だ3回目だって多いものです。
★:排尿感。頻尿の仕組み・・。
皆さんのパソコンモニター全体をバケツに見立てて下さい。そして、外枠左側の数箇所に上下可動式の水道蛇口があるというイメージをしてください。つまり、バケツが膀胱(オシッコ袋)で水道蛇口がチンチンというイメージです。
健康であれば、本来の蛇口(チンチン)はバケツの底(モニタの左側一番下)にあって当然ですが、老いを重ねるうちに、或いはその日の脳の状態なのか排尿を察知する回路(神経や筋肉)が異常になるんだと思います。
何度もトイレに行く、行った割には出るオシッコの量が少ないという頻尿とは上から2㎝の場所に蛇口があるからオシッコが出ても量は僅か・・。つまり、幾らオシッコが満タンだったとしても蛇口が上から2cmの所にしかない日であれば出る量も僅か・。出した筈なのに残尿感が・だからまたまたトイレに行きたくなる・と。
こうした人のこの日というのはバケツ(膀胱)には常に8割の尿が残っていて、2割のオシッコが溜まれば尿意を催すと・。寝入るうちに残りの8割を失禁してしまうという状態を繰り返すんだと思います。
★:振り返れば、2010年3月29日、ようやく母の尿意のサイクルが理解できるように。
この2010年4月、母と私達夫婦との暮らしが8年目に入りました。母のこうした排尿の仕組みが母との叫び合いの中で少しずつ理解できるようになりました。
老いていくだけの母に、「しっかりしろよ」、と言うだけでは哀れ過ぎます。私や嫁が感じる綺麗・汚いというレベルで母を見てはいけません。実は、母自身が「何でだろう?/いつの間に私は・」、と思っているはずです。
「もう、何でもありサ。いいじゃないか!。もう、お袋は97歳だよ」、ってね。
ただ、皆様。失禁とは異常排尿や排便の状態を表現する言葉だけではなく、突然の涙や笑い・、これらも感情失禁と言われるんです。つまり、ワザと失禁しているんじゃなく、知らず知らずに溢れてくるものなんです。
☆2010年4月18日。
★:基本的にデイからの帰宅は施設側に依頼する事に・・。
先日、通所の利用時間帯の件での施設側とのトラブルの話を書きました。「入浴を自宅でするからオプション料が取れない」、というのは事実のようでした。だから、入浴をしていたかのよう資料作成をしていたと・・。
母の場合には毎月曜~土曜の利用ですから介護事業所にとっては是非とも欲しい入浴サービスの点数でしょうが、よき観察眼を持って介護に従事する現場の人や母親を預ける側の意見としては施設側の意見とは全く別ですね。
★:介護従事者は入所組と通所組の意識の違いを知るべき
お年寄りが持つプライドというものは私達の想像する以上のものがあります。私達が留意する必要があるのは入所組と通所組のお年寄りに対する介護事業所というものはお年寄り自身の状況認識程度や預ける側の介護家族の意識の違いを明確に知っておくべきです。私の理想は「せめて入浴程度は在宅で」、です。
お年寄りにも家族側にも入所への何らかの躊躇いがあるからこそ通所をしているんですね。私などは自営で小さいながらも会社のオーナーだからこそできる在宅介護。勤務時間は月曜~土曜の9:00~14:00ですから収入だって自ら低く抑え、特にこの4年間の手取り額は生活保護家庭以下しかありません。
でも、母には出来る限りの普通の暮らしをさせたい介護家庭が施設の勧める入浴サービスに応じるはずがありません。この入浴介助・、母は私や嫁が行なう介助でさえも嫌がるくらいですから施設側に任せるのは不可能な事です。
★:一時が万事。こんな奴も居る介護の世界。
数年前に母が骨折で入院していた西日本病院で目撃した事ですが、そこでは何人ものお年寄りの入歯を集めて同じ器でゴロンゴロンと洗うんです。最後には軽く流水で洗浄するとは言え、「これが看護・介護に従事する者のやる行為か!」、と驚きました。
本来、この病院自体としてはそんな洗い方の指導はやってはいないんです。特定の看護師・介護士さんが始めだして常態化していたんです。まるで茶碗を洗うが如くに入れ歯を・。こうしたことの結果、母の入れ歯が別な人に渡されて「この入れ歯は合わない」問題が日常的に起きていました。
母が通う鶴翔園でも似たような事は沢山あります。お年寄りの担当は3ヵ月間隔で入替わるんですが、ある特定の介護士さんは食後の入歯を絶対に洗いません。それに、中敷き(尿取りパッド)も交換せずにさえ汚れたまま・・。
それがたまたまであればいいのですが、その介護士さんが母の担当の際には必ず食後の入歯・中敷きが汚れたままだという事は常にそうした仕事しかしていないんです。これが介護士の世界の現実ですから、多くの介護士さんにとっては迷惑な話です。
そうかと思うと、「今日はツヤさんの失禁の量が多くて、中敷き、紙パンツ、スペアズボンを交換しました」、と口頭で告げてくれ、汚れたはずのズボンの洗濯までしてくれている丁寧な介護士さんも確実にいるんです。
★:管理職は現場を知らない。人事も考えるべき。
介護ってサービス職です。勤務が長いからという理由付けではなく、現場での一人一人の働きをよく査定すべきです。真面目に誠意的に働いている介護士さんの上に立つ者がいい加減だとこの施設は施設としての機能は必ず停滞しています。サービス業が評判を落とすのは早いものです。
よく、「立場が人を育てる」、と言いますが、特殊な環境で育った者では新たな環境についていけない者も居るのは事実だと思います。
★:相談員の嘘は施設としての嘘。
「ツヤさんは送迎エリア外から来所されていますし・・」、と言う鶴翔園のO相談員の言葉に対しては今でも怒りを持っています。2004年には懇切丁寧に母を誘ってくれた施設でしたが・・。
「O相談員がそんな嘘を言ったんですか?。ツヤさんは利用者の中では近い方なのに・」、と言うのは最近になって鶴翔園に勤めるようになって送迎役も兼ねる社会福祉士の資格を持つある女性・。
兎も角、相談員Oの上司だというYさんに対し、「私が母を迎えに施設へ来るのが遅いというデマ指摘を受けない為にも今後は基本的にデイからの帰宅は鶴翔園側でお願いします」、という事で落ち着き、神社散歩などの目的で私が連れて帰る日だけを前以て鶴翔苑側に伝えておくようにしています。
★:指摘されたから逆指摘を
「お母さんを連れて帰る為の息子さんの迎えが遅い」、と指摘した鶴翔園ですが、「では、迎えに行くのを控え目にするから原則的に鶴翔園で送って下さい」、という事になったのはいいんですが、母が我家へ帰ってくるのは15:30~15:40・。これだと私が母と一緒に帰宅していた時間と殆ど同じ時間なんです。
この度の施設側との言い分は実態として実に意味のない結果になっています。でも、実際の処、ずっと疲れ気味だった私にとってはいい感じの骨休みになっています。14:00に仕事を上がって買い物して自宅へ直行して母が帰宅する15:30までは僅かな時間ですが身体を横にできるようになりました。
★:漏れて聴こえる声・・。
デイ通所には4-6やら6-8やらゴチャの利用時間帯があって、厳密に決まり事を言い出すと送迎の為の車や運転手の確保が大変だ・と聞きますね。だから、本来であれば14:00から送り出すはずの利用者を待たせた状況を作って15:00送り開始の利用者と一緒に園を出発する事はザラだと・・。つまり、4-6も6-8も実態としては変わりないと・。この意味が分かりますか?。後述します。
ただ、母が適用されている利用時間帯自体、私は今日の時点でも知らないし、聞けば聞いたで、「あれっ、エート。調べておきます」、と実に曖昧なんですが、それはこの鶴翔園自体の帰宅時の送り車や運転者の手配の都合があるんだと思います。
この辺の事情説明もせずに、「歩けない奴、入浴しない奴。もう、利用するな」、みたいな言い方をされれば、「黙れ、この気紛れブスのO相談員が・」、となるんです。
母を担当される地区ケアマネさんのお話を聞く限り、3-4やら4-6やら・。極端に言えば1-2も2-3も3-4、4-5もあり得るとか。3-4とは3時間の施設利用で送迎の1時間を含ませる計算方法ですね。
それはそうでしょう。デイ施設の隣地にお住まいの家族で利用される場合、歩いて通える距離です。車椅子で迎えに来て頂いても往復の送迎で2分程度です。こんな利用者だと3-3でも4-4でもあり得るはずです。そんなこんなの利用者の通所事情や施設側の事情があって制度としての曖昧時間というものの設定が必要なんだと思います。
私自身が送迎を行なうようになる以前、鶴翔園からの朝のお迎えは8:20頃。そして、送って貰っての帰宅時は15:20過ぎでした。それを思い出せば多分、母は4-6扱いだと思うのですが、母が入浴を拒否するというのもあって、11:00~15:00の「3-4扱いにします」、という一方的な通知だった訳です。
☆2010年4月19日。
★:メールでのお叱りに対し
「親の介護を施設に依頼しておいて、家族がその利用時間を知らない、とは何事だ」、という内容のメールがありました。私の説明が不足したようですが、「母の要介護度が数年の間で2~5と変化していく過程があっても受け入れ施設の鶴翔苑からは母の介護度数の変化を根拠の新たな契約書が作成されない、と事実があります。
つまり、施設・鶴翔苑に通い始めた頃の母は要介護度が2から3に移行する頃。最初の契約時は6-8の時間帯でした。施設からの迎えがあるのは朝8:20頃。そして、15:20頃には自宅に戻ると言う契約です。
そんな中で起きた我が家での2005年12月末の母の転倒骨折事故でした。原因は、「雨の中を迎えに来て貰うのは申し訳ないから今日は行かない」、という母の遠慮が引き起こしたものでした。つまり、この当時は送迎時間を含んで鶴翔苑にお世話になる時間帯は7時間程度の利用だったんです。つまり、6-8です。
☆:その後・・
骨折の為に西日本病院に約3ヶ月間の入院治療をして、暫く自宅待機してからリハビリ入所と言う形で鶴翔苑へ戻るのですが、この期間が3ヶ月間。その退所後の母は認知も進み、嚥下障害や失語症も出始め、歩行リハビリ効果も薄いと感じた私は独自のトレーニングを行なおうと考え、「送迎は私自身がやります」、と申し出て、現在に至っているんです。
私自身が送迎を行なう事に関して、鶴翔苑からは、「それは助かります」、という声は聞きましたが、この時点では従来の6-8契約に変更がある事等は私は知らされていません。ここに鶴翔苑側のミスがあります。
6-8時間枠の中ですから私としては9:00までに母を施設に届け、母を迎えに行くのは15:00以降、15:30くらいまでであれば鶴翔苑が行なっている送迎タイムと何らズレはない、と思ったんです。
★:いつの間にか6-8が4-6に変更されていて、それを更に3-4に変更されようとしていた。
私自身、私が母の送迎役を務める事で利用枠が増え、「別なサービスを提案して貰えれば・」、と思っていた程でした。しかし、今回の騒動の中で知ったのは、「実は、貴方のお母さんは4-6を適用されています」、という声。そして、「午前中の入浴を希望されないようなら3-4の利用にして貰います」、という事だったんです。
★:現実には4-6、6-8の利用区別なく、施設Kは15:00以後の帰宅送りに統一している。
結局、介護スタッフの都合、送迎車両の不足があるからか利用者の滞在時間とは無関係に15:00から帰宅送り、16:00消灯閉苑なんです。要するに、だからツヤさんの送迎はしてくれ、入浴サービスも受けていることにしてくれ、と言いたかったんだと思います。
★:問題だったのは、母の状態変化の過程で鶴翔苑との間に新たな申し合せ(契約変更)が為されていない事。
母はこの鶴翔苑を利用する間に要介護2から3、4へ、そして2009年11月には要介護度5になっています。母の骨折入院~退院~入所~対処~再通所という変化の中での母の要介護度が5へ変化したんですが、鶴翔苑側からのサービス内容の変更に伴う契約変更の申し出などは一切なかったことです。申し出がないから、家族側は2004年の利用開始の頃の契約ままだろうと思いこむ訳です。
介護家族が思うのは介護度が上がる度に、「同じ食事、同じサービスでも何故料金だけが上がるんだろう。施設での母は老いが深まる度に静かになり、動き回る危険も確実に減っているのに・・」、と感じる程度です。
★:突然の一方的な通知に怒った・私
今日という母の一日は2ヶ月近く前に地区担当ケアマネさんと私達介護家族が一緒に作ったケアプランを施設届け、それに基づいた一日のはず。それは昨日という日も明日という日も同じはずなんです。
処が、4月まで残り10日余りという時期に、「4月1日からは11:00~15:00のご利用とさせて頂きます」、という1通の文書が通い帳に挟んであったんです。勿論、母以外にもこうした通知状を受取った方はいます。これでは、事前のケアプランの作成と提出意味がありません。
本来なら、「制度が変わった/施設側の都合で・」、と事前の話合いが一ヶ月半前には為されて当然だと思うんです。まるで、「明日から家賃を上げるぞ」、と通告する悪徳家主然としたこの施設・鶴翔苑。
★:「はい、そうします」、という介護家族が居るものか。
普通に会社勤めをしている介護家族が11:00に母を施設に連れて行けるはずがない。施設側が迎えに来てくれるとしても共働きの家庭で11:00頃に在宅しているはずがないんです。それに、「15:00には連れて帰れ/施設側が送るから15:00には家族の誰かが在宅してろ」、と言われても無理な話です。こんな施設なら最初から誰も利用しません。本来、そうした家庭事情を考慮して提案されるのが6-8、4-6・・といった利用時間帯のはず。
☆:医療系の施設は偉い・と誰が決めたんだ?。
「高橋さん、医療系の介護施設は緊急面では頼もしい面はありますが、ビジネス上で言えば内容は汚いものです」、と言う人もいます。病院に入・通院する患者の中から新たな入通所候補者を次々に作り出す事ができますからね。それも意図的に・。だから医療系の介護施設はいつも定員一杯だと憶測したくもなります。
皆様のご利用の介護施設でもこのような事が頻繁にあるんでしょうか?。「我々がアンタの親の世話をしてやっているんだ」、と言わんばかりの介護施設がありますからね。
最近、ずっと地区ケアマネさんが私の家へやって来ていろいろと腐心してくれます。別な施設の相談員や管理者が私の話を聞いて驚いたり、「まァまァ」、と宥めてくれたり・・。
そんな私達の横で無心にメガネを拭いたり、ジッと耳を傾けては首を傾げたりしている母が哀れでなりません。
「ホラ、アンタはお客様にお茶も出さずに・」、と。「お前はどんなに怒っていても最後には必ずニコッと笑うんだけど・。お前がこんなに怒るのは珍しいよね」、と昨日の母・。鶴翔苑とはまだ・、揉めているんです。
☆2010年4月20日。
★:「ありゃ、この猫喋るよ」、と母が・。
母は犬派。7年目の昨年頃からようやく我家のチッチさんの背を撫でるようになったほど・・。実はこのチッチさんは17歳で人間年齢に換算すると母よりも高齢になるのかも知れません。
「お外に行くんだからドアを開けてっ。何度言ったら分かるの?/もう、寝なさいよ/今まで何してたの/寒いからカーペットに電気を入れてよ」、といろんな事を私には意図も自然に伝える事ができます。
見ているのかどうかは分かりませんがTVでは母の好きな時代劇が・・。そして、今日もチッチさんは洗濯物を畳む母の目の前で微妙な距離で母を観察していたかと思うと、突然に母が畳む衣類の上にワザと寝転がります。
そして、母を横目でジーッと・・。多分、「少し休んだらどう?」、とでも伝えたいかのような態度で母の前に寝転がるんです。猫って広げた新聞や畳む洗濯物の上に座ったり転んだりするのが好きですが、あれは気を引きたいんでしょうか?。
「えーい、もう。こら、アッチへ行きなさい」、と母。
丁度、その時、「ってやんでい!。アッチもコッチもあるもんかい。ふざけるんじゃないよ」、とTV画面の中の威勢のいい下町の娘が叫んだんです。
「れっ、ありゃりゃ?。この猫は喋るよっ!」、と母が・。
☆2010年4月21日。
★:医療系介護施設だから万全とは言えない。主治医の存在。
四年前の2006年の今頃の母は200年暮れの骨折で入院していた西日本病院を3月4日に退院し、この鶴翔苑での3ヶ月間のリハビリ入所を開始した頃。私はここで介護制度のある種の不器用な部分を目撃しました。
ある日の夕食を入所者の皆さんが一堂に会して摂った後、食後のデザートを食べていた時でした。皆さんの食事風景を見ていた私はあるAという女性が箸を手に持ったままユラユラと身体を揺らし始めたんですね。その様子が段々と激しくなり、左手を左顔面にあてて苦しそうに・・。咄嗟に異常に気づいた介護士さんが棟続きにある病院へと車椅子で運んだのですが、既に一般診療が終わった後。既に日勤医師は帰宅し、夜勤の医師が居たかどうかの時間でした。
3Fのリハビリ入所棟の消灯が21:00ですから私は母の就寝を確認した後に駐車場に向かったのが21:20頃。駐車場には救急車と救急隊員が・・。
「何かあったんですか?」、と聞けば、「夕食の最中に具合が悪くなったお年寄りが居るらしい」、と言う事でした。
「あァ、その女性なら私は目の前で目撃しましたよ」、と言えば、「えっ?、それは助かる。ちょっと、ついて来て欲しい」、と病院内へ・・。私はAさんが食事のテーブルに着いた瞬間からの様子の一部始終を説明した処、とても感謝されました。でも、既に夕食時からは相当な時間が経過していました。
実際の処、介護士さんが気づいたのはAさんがガクンと力なく椅子の背に凭れ掛かった後の事。それまでの挙動は説明できていない為、病院にいた夜勤の医師では診断が下されていなかったんです。
認知の入ったお年寄りって自身の体調の説明が曖昧ですからね。それに、正反対の事を答えたりしますよね。医師といえど診察が困難なケースがあるんでしょう。それに、このAさんは私が感じた限りでは呼吸困難を伴っていましたから、お医者さんは状況を知る事ができずに困っている様子でした。
入所者の食事が18:00開始ですから既に3時間を越えていましたが、このAさんはこの病院から主治医がいるはずの日本赤十字病院・熊本へ搬送されました。何と、病院から別な病院への緊急搬送ですが、これって完全な対処遅れですね。この利用者さんは亡くなってしまいましたが・・。家族が一連の経過を知れば裁判沙汰です。
★:入・通所者にとっては主治医をどの地区のどの病・医院にするかはとても重要。
前述したケースのように医療系の介護施設なら応急手当の後に主治医がいる病院へ転搬送する事が容易でしょうが、医療系でない介護施設経営者の場合、入通所者の健康管理、緊急時の搬送には普段から相当に気を遣っておられる事と思います。
★:医療系であれば脳外科系・循環器系が無難・。内科系であれば強い人脈を持つ医師・かなァ。
現在の医業というのは専門・分業化が進み、トータルしての総合診断ができる医師が少なくなっていますから介護家族としては自分の親が過去から現在までにどのような疾患を持っていて、どのような普段の生活を送っているかをいつでも医師や介護施設側に伝える事ができるように確たる心構えを持っていなくてはいけません。
「エート、・心臓が悪かったけど/何年か前のCT検査では脳に異常が・」、程度では親の健康は守れないと思います。
私の母の場合、心臓に肥大があり、60歳代の最大血圧が220の事があって以後は降圧剤を常用しての普段の生活、現在は血圧が135~157で時に168程度まで上昇。脈拍は平均66。体温は平均35,9~36.2度。
2005年2月に小脳に僅かな出血が見つかっています。それ以前には眼底出血で左目の手術。だから、左目は見えませんし耳も左側が殆ど聴こえていません。
お医者さんって患者の手術痕から過去の疾患。或いは骨折部位の発見などは上手なんですが目では見えない身体の内部だと機械に頼るしかないんですが、その検査で手遅れになる事が多いんです。それに、最近のお医者さんは触診をしません。家族が親の既往歴を憶えておくという事はとても大切なんです。
「うちの親の主治医?、えっ、えっ?、どこだっけ」、じゃいけません。
★:こんなケースも・。
2001年、私が野球の練習中に腰椎分離骨折で坪井にある山城整形外科に入院中、あるご老人が自宅で転倒して歩けなくなったという事で搬送されて来たのですが、古いレントゲンしかないこの整形外科病院は普段でも別な病院が所有する最新機種のCTやMRIなどに撮影依頼をしているほど・・。
このご老人が搬送されて来たのが22:00近くというのもあって、やむなくレントゲン撮影だけ・。結果、このご老人には骨折はないという診断で簡単なシップを貼って貰って帰宅したのですが、自宅では失神してしまいます。
再び日赤病院に搬送された結果、転倒した際に動脈に損傷を負っていて噴出す血液の様子がCTに写っていたんです。山城病院のレントゲン検査では見つけるい事ができなかったんです。このご老人は失血死の寸前だったとか・・。
その後、この方は山城整形外科に戻り責任を感じた山代院長の配慮で無償で入院加療する事になられたんですが、「酷いもんだよ。山城病院の看板には外科・内科・整形外科と書いてあるから搬送されたはずなのに・・」、と
☆2010年4月22日
★:政令指定都市指定欲しさ、助成金欲しさの特例下でのお情け市町村合併・・
我が熊本も特例で政令指定都市の資格を得ました。特例というのは「本来は人口70万人程度ではいけないんだが、今なら人口70万でも政令指定都市として認め助成金の対象都市としましょう」、という国の掛け声に沿ったものでした。要するに、「今なら期限付きインターネットし放題」、みたいなもんですね。
★:要は実態として市民の役にどこまで立つのか・、その実効性が今後は問われる
日本国総高齢化に伴う弊害というものが今後はいろんな面で予測できますね。私の一家が住む清水地区というのは従来だと熊本市の外れの静かな・、う場所に位置していたんですが、政令指定都市として4つの区に分轄された熊本市で言えばほぼド真ん中に位置するようになるんでしょうか?。
例えば、市役所の清水支部が自宅近くの八景水谷公園そばにあって非常に便利なんですが、これからは印鑑証明の一つを貰うにも昔住んでいた菊池郡西合志町須屋の先の先まで行く事になります。現在であれば車で4分で清水支所へ行けるのに、これからは45分くらい掛かるに西合志にまで行くことになるんです。
一方、75歳くらいで自動車免許の返還をさせる、というような運転免許の制度見直しが囁かれていて、「では、各種手続きの変更や申請には、「タクシーにでも乗っていけと言うの?」、という反論で世間が賑わう事になるでしょうね・。高齢化対策でもあるこの市町村合併は高齢化に逆行する面も多分にあるんです。
★:1歩進んで3歩後退みたいな・・
風潮が我が国の個性としてありますね。一体、先を見越すって何なのって言いたいです。市町村合併や道州制などには反対ではない私ですが、実態としてどこまでの変革性・実効性があるのか・です。
日本全国を工業化、情報社会化していくにはその方がいいのでしょう。それに役人や議員数の削減には繋がるのでしょうが、そんな事なら現在までだってそれぞれの地区でやれたはず・。
例えば、熊本には[轟(とどろき)水源]という有名な場所があって、この周辺地域に住む人々は100%の轟水を生活用水として使っているんですが、合併する事で熊本市から伸びてくる塩素入り水道水と混ざり合った轟水を飲む事になりますね。多分、まずくて驚き水となるでしょう。
それに、土地が高騰し、公道が延びてきて田畑が減少、汚れた空気に晒されて育つ野菜・、いろんな弊害も出てきます。電話の基本料金は下がるんでしょうね。プロパン屋さんは都市ガスに食われますね。
★:本来は既に終えていていい政策のはず
私が住む清水地区には自衛隊駐屯地があって、これが煩わしいですね。パタパタポンポン、ドカーンと空砲を撃って戦争に備えて仮想実戦訓練しているんですが、このパタパタポンポンは自動小銃でしょうか。それとドッカーンの大砲の空砲が大いに迷惑です。奴らがポンポン遊びを始める度に家がギシギシと揺れるんです。
あるとしてもミサイルと対ミサイルミサイルのボタン戦争、戦闘員の非搭乗戦闘機が主流になると言われる現在、このパタパタポンポン、ドッカーンの意味がどこにあるんでしょうね。ホフクゼンシンで陣地取り、そこをベースに敵を陥れる?。今時、映画のコンバットのような陣取り合戦が本当にあり得るんだろうか、と思います。私の家は自衛隊のソバ・、まるで紙芝居を見ているような訓練風景です。
私は中途半端な自衛隊組織は嫌いです。組織するなら頭の良さで編成された空海の軍隊と体格の良い忠実な陸上災害復興隊程度に種訳すべきですね。この自衛隊駐屯地が今後は熊本市のド真ん中に位置する事になるんですが、「ドッカ・イッテクレ」、と思っています。
★:陸上自衛隊を持つが故に外国からの派遣要請がある。
専守防衛に陸上部隊は不要かもです。陸上部隊を持っているから外国への派遣を要請されるんですね。災害復興部隊であれば戦争と直結しては語られないはず。だから、戦闘地域だろうが非戦闘地域だろうが堂々と向えばいいんです。
空と海は軍隊化、陸上部隊は災害復興部隊として消防組織の中に組込み、その組織の中に国際活動班みたいな組織を作ればいんじゃないかと素人ながら思います。まずは軍隊として国際的には主張すべきです。
★:今や:、
宇宙からの観察によって地上25~45cmの物体が何であるか、数字だって読めると言われる監視衛星の性能。この精度というものは、各国要人が乗った車のナンバーを読み取る能力の監視機能を・・、というのが開発動機の根拠だったそうです。つまり、地上25cmの数字が読み取れる精度らしいです。
★:誰も戦争を望むはずがない、・・が
米軍普天間基地が対中国、対北朝鮮といった多政党否定の1党独裁の共産主義国家への抑止力になっているのは事実。ただ、軍備による抑止力だけをいうのであれば我が国が軍隊を持つか核の5発程度を所有するしかないと思います。
政治家の皆さん、「要するに米軍に居て欲しいのか、出て行って欲しいのか」、という極論から国民との会話を始めて欲しい。必要であれば妥協。不必要であれば軍備を進めるしかありません
天使の囁きのような寝言は1党独裁の共産主義国家には通じません。北朝鮮にだって天使の囁きはあるんですよ。それを平気で独房に入れたり抹殺するするのが彼らの主義。中国の政策を見てご覧なさい。インフラ整備、高層住宅化の為とは言え、何の保障もせずに住民を強制的に立ち退かせたりして
国民を裏切っています。軍による1党独裁の恐怖です。
★:突飛なアイデアですが・
沖縄の方々全員を50年程度の期間の生活保障をした上で北海道に移住して頂き、沖縄を米国へ差し出す手もあるかも知れません。沖縄の方々だって防衛上でも経済効果の面でも米軍の存在価値はご存知のはず。分かった上で反対されているんです。
戦後の沖縄経済は米軍抜きでは語れないはず・・。例え、大村湾や徳之島に基地機能の一部を移設しても同じような問題が起きるのは必至なんですね。私は基地の町・佐世保に暮していて米軍基地の存在する心地よさを知っています。
何故、北海道か・。それは連合軍との闘いが終結するのを待っていたかのように旧ソ連軍が宣戦布告を行い北方列島を一方的に奪うという卑怯さを行なっているからです。その悔しさを忘れてはいけない。ある意味、沖縄の米軍基地は台湾、韓国をも護り、ロシア、北朝鮮からの脅威を抑えているんですね。沖縄から米軍が撤収するという事は周辺の共産主義諸国からの脅威に対する網を失う事になるんです。
★:日本人は平和ボケが身に染み付いてしまっている。[養殖人種]
戦争という事態は何もポンポンパタパタドッカ~ンという時代遅れの自衛隊の存在で回避できる訳ではありません。現に、経済戦争にだって敗戦の連続じゃないですか。過去の敗戦の上に現在の平和が成り立っている事を自覚すべきです。生産力が低下していく一方で金のバラマキ政策ばかりの我が日本の政治。イシコロみたいに金を扱っちゃいけません。もう、学歴では金を産まない日本になっているんです。これからは国民の個々が考えなきゃいけません。何かに頼ってばかりではいけないんです。
もう一度、国民が意図的にでも何かに耐える、望んで耐える暮らしを始めてみようじゃないですか?。我がニッポンの国民はいつの間にか[養殖人種]になってしまった気がしています。
★:武士道に於ける武器の携帯マナー。核保有の話。
武器である刀は左の腰に携え、いつでも右手で抜けるというのが作法です。武士社会に於けるこの作法を知らない方は剣道の作法を学べば簡単に理解できます。武家社会では左利きは幼い時期に右利きへと修正させられていました。
故に、殿中で歩く作法としては、腰から鞘のままで刀を外しては右手に持ち替え、左手ブラブラで歩く事が作法とされていました。左手で刀を持てば「こいつはいつでも刀を抜くぞ」、と判断されては瞬時に切り殺されても止むを得ませんでした。
私がここで何を言いたいかと言えば、核保有のことです。つまり、核を左手ではなく、右手に持ちながら対外交渉の場に出る勇気が我が国民には欲しいのです。
核は核を制します。この事は全ての日本国民が理解すること。左手に持つ核はいつでも使う意志を示す武器。ですが、右手に持つ核は保有するだけで使う意志の無い刀と同じ。核を抑制するのが核保有しかないというのなら、左手に核を持てばいいんです。政治家の皆さん、珠にはこのような発想を持ったらどうでしょう?。
☆2010年4月23日。
★:またもや・、母が嫌いな席替えが・・。
母が通う熊本市の鶴翔園ではまたまた席替えが・・。この席替えの度にご老人が叫び出すというのにこれまた一方的な席替え・。この席替えから今日で2週間・。最近は毎日のように母の座る席が変わります。
何度も書きますが、管理が楽だから/お年寄りの能力の変化で・、といろんな理由がつくのですが、この認知老人が多い介護施設での席替えには私は多いに反対です。
デイ施設・鶴翔園は「お年寄りに刺激を・」、とよく席替えをします。施設に言わせると、「認知防止」、だそうですが、私は、「戸惑いの連続が認知を進める。毎日に変化はつけて欲しくない」、と申し出ますがなかなか受入れて貰えません。
「折角、お隣の席の方と仲良くなれたのに・」、と言うお年寄りは多いものです。また、元の席に戻ろうとして何人の人が転倒するんだろうなァ、と思いますよ。
この鶴翔園近くの施設の[風の木苑]という施設の相談員にアドバイスを求めると、「認知改善の刺激目的での席替えはしてはいけない。理由は高橋さんの言われる通りです」、という事でしたが、介護研修会ではどのような指導があっているんでしょうね。認知改善の方法であれば他にも方法は沢山あるはずですが・。
★:老人と猫の関係を考えてみよう。
介護士の皆様、一般的にお年寄りは自分の隣で一定の距離を保って寝そべってばかりいる猫が大好きです。あれは何故だと思います?・・・。猫って目が合えば暫く見つめあった後・・、チョンと目を瞑っては安心のポーズをしてくれます。そして再び目を開けてはコッチをジーッと見つめてはまたシャキンと目を伏せます。
アレって本当は警戒のポーズなんですが、「この人は安心な人だ/この人のソバは心地よい」、と感じると鼻チョウチン作って眠りに着き、一旦、眠ったら足で蹴っても安心しきっているから目を覚ましませんね。
我が家ではチッチさんの前に飼っていたマイケル君なんか私が飲む日本酒の杯に尻向けてオシッコを掛けて、「酒はやめろ」、というくらいに図々しく慣れていました。人を信じる事ができる生き物は高等動物の証しなんですね。
認知老人にも似たような事が言えるんです!。もう、皮膚感覚、本能というものだけでしか生きられないご老人の環境を何故変えるんですか!。
「誰だかわからないが折角お友達になった人が姿を消したよ/明日は私はあの人を探しにいくよ/あの人は転校(施設を変えた)したの?/まさか、亡くなったんじゃないよね?」、と母はデイに通う朝になると毎日のように言います・・。きっと、席替えが寂しいんだと思いますね。
介護士の皆さん、「老人に与える寂しさ・悲しさも刺激の一つだ」、と言い切れるならとアンタは介護士を辞めたがいいよ。それとも、昔、俺がやったように山に篭って3ヶ月近くもの間さ、クシャミとアクビ以外に声を出さない暮らしをやってみろよ。辛いもんですよ。
★:与えるなら記憶に残さぬ感動を与えよう。その感動の連続こそが記憶。
勿論、お年寄りは汽車の車窓というフレームに次々と飛び込んでくる旅の風景も大好きです。でも、この風景・光景は憶える必要がないから。「あァ、綺麗・・、あっ、この景色も綺麗・・」、と一瞬一瞬を楽しめればいい感動なんです。
それに、このケースでは自然風景という対象物が動き変化している訳であって、お年寄り自身が動き回っている訳ではありません。次々とご老人に移動を強いては生活動線を覚えさせる事ができなくて、「ここはどこ?/トイレはどこ?/アナタは誰?/私はここで何をしているの?」、とそんな戸惑いばかりがあって・・。
席替え・、こんなものが認知防止になるとは私は思わない。母の通うこの施設・、何だか私の中では一気に信頼が薄れていく出来事が続くようになりました。
☆2010年4月24日。
★:国の許・認可に関わる事業の話を・。
国の定めた制度の中での事業には[許可事業]と[認可事業]とがあり、許可事業とは本来は行なってはいけない事業(行為)だが然るべき審査を受けた後に国の許可の下にこれを行なう事ができるとされた事業で身近な例が医師が行なう医療行為です。
しかし、介護事業は認可制の為に比較的容易に開業できます。つまり、資質ではなく、要件さえ満たせば誰にでも起業ができるんです。要は、組織を構成するスタッフの中に資質・要件を満たした者が一定数居ればいいんです。
例えば、車の運転なんて要領さえ分かれば誰にでもできる・・、故に、決まり事さえ守れば運転を容認しよう。[免許:許可を免じる]という資格ですね。これに対して例えば、[(有料)職業紹介業]という資格がありますが、これは人間の一生に関わる大切な職業の橋渡し役だという解釈で国の許可制。
この制度は最近では有名無実になった感がある資格ですが、本来は職業安定所が行なう行為ですが役立たずの問題役人ばかりで非常に稼働率が低く、その為に民間の特定の者にその役を依頼している訳ですね。情報の停滞が原則の役所仕事より、民間の情報収集力の有無の違いです。
★:労働者派遣業
不透明な議員献金問題、分裂気味の自民党問題、米軍基地問題ですっかり影を潜めてしまった感があって、もっと大きな話題になっていいはずの派遣業問題ですが、これには特定派遣業、一般派遣業という2つの形態があります。
★:特定労働者派遣業とは
登録した段階で派遣会社の正社員なんですね。だから某派遣会社の社員として某就労先である企業へ労働力の提供を行なう訳です。派遣社員なんですが正社員なんです。この派遣形態がしっかりと確立され雇用関係の上で実施されるだろうという事で県知事への届出制となっています。つまり、就労先企業から突然の解雇を受けても派遣会社から保障を受ける事ができます。
★:対して、一般労働者派遣業とは
登録した段階では単なる期限付き登録社員。やはり、某派遣会社の社員として某就労先である起業へ
労働力の提供を行なう訳です。某派遣会社の登録社員という身分です。これは、曖昧な雇用状態が懸念されるという事で厚生労働大臣が許可を厳しく担当します。この場合、就労先企業から解雇通告を受けても派遣会社と交わした登録労働期間だけの保障しか受ける事ができません。
★:その相違点は大きい
一見して大した相違点はないようですが大有りなんですね。特定労働者派遣業の中での特定労働者と言うのは就労先で期限内解雇に遭って失業しても何の心配もありません。本来の雇用主は某特定労働者派遣業者側ですから給料保証はあるんですね。
対して、一般労働者派遣社員の形で就労していた人が就労先で中途解雇にあった場合、雇用主である派遣業者からの給料保証はあるのですが、登録期間を過ぎてしまえばチョンなんです。
そして、今回はこの2つの派遣形態の違いが大きく語られる事無く報じられているんですが、私はこの事を以って日本という国への不信感を強くしています。
★:労働者側が自らの立場を理解せずに登録しているケースが多い・・。
永年雇用・終身雇用を謳った日本型経営の時代は終わったんです。戦後から一環して続いてきた国立型企業は鉄道から塩・タバコ・米、教育に至るまで専業制度が崩れ去っていますね。モノの流通形態がこれ程までに変革している時代にヒトの雇用形態が変わらないはずがない、と思うべきです。
現在の派遣型採用・勤務形態は従来とは違った形で将来的には再び三度と問題点が出てくる事と思います。何故なら、今は個別に語られている年金や保険問題とは深い関わりがあるからです。
働く場所があって働く人が居てこその年金・保険問題。その前に我が日本という国が世界から取り残される事無く存在できるのか・・、という事ですね。
★:年金も保険制度も必ずや似たような問題に突き当たる
政治家が企業を優遇して育成しようとするのはその為なんです。もう、国の政策として個々の国民から徴収、納税をする・させるというシステムには限界が来ていて、その役割を企業に持たせようとしているんですね。
国民には何らかの仕事を与え、企業に吸い込ませる事によって企業に個々の国民を管理させ、働かせる事によってトータルしての国への納付金という形で国に集結させるシステムを構築したいんです。多分、そのシステムの方が効率は高いはずですが、問題は企業力、つまりは日本という国家が僅かづつでも成長し得るか否か・・なんですね。或いは、国民が脱贅沢・脱欲できるかが課題なんです。
☆2010年4月25日。
★:食べる幸せ&その様子を見る幸せ・・。そして、今の私を支えている古き傷痕。
今日、吉幾三さんをゲストに迎えた旅行モノのNHK番組を偶然に見ました。デイ帰りの母も何となく見ていましたね。吉さんの人柄がとてもよく出された番組になっていて・なんかジーンと来るシーンが多かったのは吉幾三という人の人柄故なんだろうなァ、と感心させられました。
彼がラーメンを食べるシーンを母と見ていると、「ホホン、・・おいし・そうね」、と母。
「ホホ、そうね」、と私。
「私は・ラーメンとか随分食べてない・・」、と母。
「食べとるじゃないね。我家は毎週のように日曜日のお昼はうどん、ソーメン、ラーメンじゃないか。それも、チキンの皮や馬肉や牛にカツオに昆布のダシが利いた手作りのいろんな味の麺類を食べているじゃないか」、と私。
「私が食べとるってね。へェ~」、と母が、「そりゃ初耳よって」、な顔をします。
「何言ってんだか・。この子不幸親が」、と私。
「ホホ、美味しそうね」、と再び母が・。
「あんたは美味しそう・食べたい、美味しそう・食べたい・だけが感想かい。食べている人が幸せそうだね・とかは思わんの?」、と私。
「アンタこそ何を・・。食べ物なんて自分が食べてこそさ。人が美味しいモノを食べているのを見ていて良かったね、幸せですね・なんて誰が思うかい」、と母。
「思うさ!。何も自分も一緒に食べたい・と思わんでも、人が美味しそうに食べているのを見ていると自分まで幸せな気分にはなれんの?」、と私。
「なれん&なれん。アンタこそどうしてそういう風にしか考えきれんの?。そういう風だと出世なんかできんとよ」、と母。
「俺は小さい時に腹切ってからは食べる事には我慢我慢で生きてきたから仕方ないじゃないか」、と私。
「へーっ、アンタは腹切ったとね。どうあったと?」。と母。
「これさ。俺のこの傷を憶えちゃおらんね」、と私はミゾオチから臍を避けて一気に股間のすぐ上にまで及んでいる手術痕を見せると母は、「・?・・?、あっ、これは・・」、と母は驚いた様子・・。
「あれっ、アンタは直裕だよね。イサムさんじゃなかったとね。そうそう、アンタはナオヒロだ」、と母が・・。
長い間、母と私が苦しみ続けた私の身体に残る傷。でも、その傷痕のそばには母の知らない刺し傷痕も・。
更には夏でも長袖シャツで隠している腕を捲れば別な傷痕も・、ハイネックシャツを捲れば、首にも深い切り傷が・・。
吉幾三さんが美味しそうに食べているラーメンが呼び込んだ今日の親子の会話でした。
私が書き、作る[母に生命を返す時]というCD集。実は、幼い頃の手術の最中に聴こえ続けた母の叫び声が原点になっているんです。
「直裕っ、直裕。死んじゃいけない。生きておくれ。ナオヒロ、ナオヒロ」、という母の叫び声・。
多分、母は今でも叫んでいるんだと思っています。「直裕、助けておくれ。私を護っておくれ」、と・・。
☆:2010年4月26日。
★:ヒト・モノ・情報の流れがこれ程に変わり始めたのに
一向に変わらないものがありますね。それは巨大な組織である県庁・市役所・村役場に至るまでの事務系職員の数です。要するに事務系公務員の数が問題だと思っています。私は職業上、こうした方々とお話をする機会が非常に多いのですが、一つの事がなかなか決まらない・・。「これで決まりですね?」、「あ、否。午後から上司がやってきて判断しますから待って下さい」、と・。
現場では朝の9:00から係長以下総勢8名が打合せを行い、99%が決まりかけているのに、「上司が最終判断を」、と。そして、その上司はと言えば今は県庁で昼メシの最中だと・・。
「急がせて下さいよ。何、考えているんですか」、と言えば、「否、自分から上司にそんな事は言えない」、と。
簡単に言えば一つの事を決めるのに8人もの人間が同意しているのに上司である9人目の賛成がないと物事が決まらない世界が役人の世界なんですね。これは、決して大袈裟ではなく実態としての公務の世界なんです。
いっその事、全国の県庁・市役所には商工業の専門家、会計事務所系の民間会社を入居させ運営させてはどうだろうかと思います。欧米では一般的に現場企業の方の採用試験のレベルが難しく、そこで落ちた者達が事務方の公務員になると聞いています。つまり、一番レベルの低い者が公務員の職にあるとか・・。
国としての歴史の違いでしょうね。
我が国は歴史上から皇族や僧侶達が戦乱の中で一定以上の役目を果たし過ぎた、という過去があるからではないでしょうか・・。こうした過去が我が国でつまらなく叫ばれる戦争責任を作り出しているんです。
天皇の指示ではなく、天皇の名の下で戦争が行なわれた為、このような戦争責任という言葉が宙を舞ってしまうんですね。あの悪名高い独裁者ヒットラーでさえも自己責任で戦争を展開したはず。私達日本人は体質として自己責任であるはずのものを周囲に擦り付ける習性を持っているんでしょうね。
★:戦争・
戦後生まれの私には戦争責任を安易に語る資格も勇気もありません。ただ、言える事は他国への大いなる迷惑を与えた事は事実ですが、この戦争というものは絹織物から工業技術において、我が国民の作り出すモノの質の高さを世界に示す事がきたのではないかと思っています。世界に冠たるゼロ式戦闘機、それに戦艦ヤマト・・。戦後はナイロンにレーヨンも・・、ビニロンもそうでしょうか。
戦後の我が日本は常に工業化学技術系の世界ではトップを走り続け、これまでの私達の暮らしがあったんだと思っています。本来、ニホンジンは勤勉で強いはずなんです。
★:周囲を海に囲まれ・、
隔絶された島国だった事がいろんな意味で我が国独自の技術を生み出す土壌になったんだと思います。そう思えば、飛び交う情報というものに背を向ける事も必要ですね。情報過多の現代社会では人の心から落ち着きをなくし焦りばかりを助長させ、何かに集中して作り出す、という事が困難になりつつある気がします。
☆2010年4月27日
★:領収書について
今日は車の燃料ならぬ私のガスリン(酒)を買いにいつものコスモスへ・。ここで面白い・というか、暮らしの逼迫した自営業者の悲哀を目撃しました。
「ありがとうございました。はい、お釣りとレシートです」、という女性店員に対し、「否、これじゃないフォームの領収書が欲しいんですが」、というその自営業者さん。
対して、「これでも立派な領収書ですが」、と店員さんは言うのですが、「否、これだと税理士さんが『都合が悪い』と言うんだよ」、とその客。プクプクッとレジの彼女が膨れ始めます。
私は自営業者さんが言う理屈が分かるから、「ホラ、以前に俺も同じことを頼んだ事があるが、アンタは何もしてくれんだったじゃないか」、と言うとその女性店員はますますフクレて涙目で私を睨むんです・・。
そこで、「確かにレシ-トにも領収書と書いてあるけど、これだとコンニャク、モヤシ、パブロン、両面接着テープ・・、と明細が書いてあって、零細の商売人には困る事の方が多いんだよ」、「要は、両面接着テープは別にして欲しいんだよ」、と言うのですが、彼女はプクプクプックン&プクプップンと膨れる一方・・。
「そうなんだよ。薬代金や事務用品は事業経費で認められ易くて食料品などは経費では認められない・から頼んでいるのさ」、と私の前に居る客が言うと、レジの彼女は暫く考え込んでいます・。
「オイ、分からん時には上司に報告・連絡・相談のホウレンソウさ」、と私が言うと、「えっ?、ナニナニナニッ&何ソレミファド」、と最近流行のギャル言葉・オエっ・。
結局、時間を食ったんですが、購入商品の明細が書かれていない領収書は売り場主任によって発行されたんです。
コスモスというドラッグストアには薬から野菜、卵、酒に味噌・醤油、化粧品に下着・・、とありとあらゆる商品が売られていて、こうしたお店の場合には領収書の発行の仕方には気を遣って欲しいと思います。
因みに、私は4Lで¥1999のウイスキーとモヤシに大好きなコンニャク。それにメッシュの半袖シャツを買ったんですが面倒臭いから領収書は貰いませんでした。実は、こうした時勢だからこそこうしたサービスを義務化・常態化し、「あのお店は利用し易い」、と思わせる事が売上げを伸ばす事に繋がるんのではないかと思うんですが・。
☆:2010年4月1日
春が来ましたね。春はいいですね。我が家がそうであるように、多くの介護家族の皆様が待ちに待った季節がきました。晩秋から冬に入る頃の私達親子は「辛い時期になったねぇ」、と毎年のように口にします。スポーツの世界でも世界でも室内競技以外のこの時期はオフ。老若男女を問わずに体力って冬場に落ちますね。
「母ちゃん、桜の季節までは辛抱よ」と私は毎年のように母を励まします。「そうね。冬は嫌よね」、と母。
家計だって冬場の光熱費ってポンっと跳ね上がりますね。エアコンに電気カーペット、それにデロンギのオイルヒーターetc。母は冷風、温風が身体に当るのを嫌う為に夜間のエアコンは消しますが、その代わりに電気カーペットとデロンギヒーターは点けっぱなし・。
特にデロンギは母がデイなどで自宅にはいない時間を休止するように設定していますが、デイから帰宅する30分前には稼動して事前に部屋を暖めて置くように常に24時間タイマーで設定しています。このオイルヒーターは温まってしまえば空気も汚さず快適なんですが、暖まるまでの時間が掛かるんです。
昨年の晩秋からの母の健康への一段の配慮。この冬場にも例年に増していろんな事がありながらも桜の季節を何とか迎えることが出来ました。
★:母が通う熊本市大江の鶴翔苑から一方的な通告が・。
実は、先月の2010年3月18日に「ツヤさんの施設利用時間帯を4月1日より11:00~15:00とさせて頂きます」、と書かれた1通の文書が連絡帳に挟んでありました。差出人は母が通う熊本市大江にある鶴田外科が経営する鶴翔園。
この鶴翔園には感謝する事の方が多いんですが、たった一人の従業者の言動がその施設の信用を一気に失わせるものだという意味で具体的に書いてみたいと思います。
我が家の事情を完全に無視したようなこの一方的な通告に私はプッツン!。鶴翔苑という組織の立場上、文書作成責任者は[通所相談員:O]と書かれていた為に母を担当される地区ケアマネさんを通して猛烈な抗議をしたんですが、文書作成責任者のOとその上司のKは逃げの一手でノラリクラリと・。母担当のケアマネさんを通した一連の経緯を書いてみます。
現在、母は午前9:00前に私に連れられて鶴翔苑入りし、15:00、或いは15:20近くに私が施設まで迎えに行っては帰路に一緒に買い物や散歩をして帰宅する・という日常を送っているのですが、この日常というのは常に新しい月を迎える約1ヵ月半前に母担当の地区ケアマネさんと私達夫婦が一緒になって作成したケアプランというものに基づいた日常です。
勿論、私の仕事の都合がつかずに月に2~3回は私が遅れて15:30近くになって母を迎えに行く事もありました。でも、その際などには延長料金というものが徴収されることになっています。施設の通所部門が閉所されるのは16:00ですから問題はないはずだったんです。
母担当のケアマネさんを通した鶴翔苑からの特段の注文はなく、数ヶ月に1度の鶴翔苑+私達家族+ケアマネのカンファレンスでも何の注意も受けてなかったはずですが、この突然の利用時間変更の通知・。そして、私の驚きと怒り。
★:理に適っていない12日前のケアプランの変更通告
ケアプランの作成提出を家族側には1ヵ月半前にさせといて、鶴翔苑側からのその変更(契約の変更・解除)は実行日の12日前でも構わないとする鶴翔園の考え方自体が福祉に関わる事業を行う組織のやる事とは信じられませんでした。それもケアマネを通さぬ実行の12日前の通告です。私が怒るのはこんな時なんです。
★:鶴翔園のOという通所担当の相談員を通して鶴翔園が挙げた理由は次の点でした。
①:息子さん(私の事)ツヤさんを朝8:20くらいに園に連れて来られ、これは異常に早過ぎる。この時間帯は職員
達が総出で利用者を迎えに出る為、園には人手が足りないから迷惑。
②:その上、息子さんはツヤさんを迎えに来るのが毎日のように15:00を過ぎる。これは逆に遅過ぎるから迷惑、
と・・。
これだけ一方的に言うだけ言っといて、だから4月1日からは、「11:00~15:00の利用時間帯とする」、とは失礼な話です。こんな言い方だと相手次第では命落としますよね。
★:話が違う!。相談員Oによる悪質なデッチあげ・。
朝の8:20と言えば私と母は朝ドラのウェルカメ(当時)を見ている時間帯です。尚、この件では同じ鶴翔園で働くYという介護士さんが「施設職員Oの言うそのような事実はありません。ツヤさん親子が来所される時間は平均して9:00~9:03と逆に遅刻気味です」、と否定して頂いたので決着。つまり、鶴翔園のO相談員による嘘だったんです。うつ病気味の介護職員によくある特有の突然の異常行動みたいです。
もう一点、確かに月に3~4回は15:20を過ぎて母を施設まで迎えに行く事はありました。それに、閉所時間の16:00寸前のケースも年間2~3回はありました。しかし、鶴翔園側のOの言い分は私が母を迎えに園に来るのが基本的に遅くて恒常的に閉所近い16:00頃だ、と・・。
★:そこで、私が取った行動。
私は思わず自宅に保管してあるスーパーの領収書を確かめましたが、そのスーパーで買い物してレジで支払いを済ましている時間は年間平均して15:20。16:00近くになって鶴翔園という介護施設に居る母を迎えに行った私が帰宅途中のスーパーで買物の支払いをしている時間が15:20~35だというのはどうみてもおかしい話です。
それに、16:00近くだったら母はもう清水の自宅で洗濯物畳みと格闘してる時間。しかし、鶴翔園のO相談員は、「毎日、チェックしている」、と・。では、スーパーAceで15:20台に買い物をしている私と母は一体誰だとO相談員に聞きたい。
★:延長料(迎えの遅刻に対する)の徴収は何を意味するんだ?
ただ、「15:00を過ぎても延長料金を頂いているから構わないんですよ。要はデイの閉所時間の16:00までに迎えに来て貰えればいいんです。目安として15:25を過ぎてお母様を連れて帰られる場合を基準に延長料金を頂いています。また、仮にそれ以降の時間であれば3階の入所組のフロアーに移動して頂いて息子さんのお迎えを待つだけの事で、消灯時間の21:00までに迎えに来て頂ければいいんです。そして、その考えの先にショートステイという制度があるんです」、という丁寧な事前説明をこの鶴翔苑からの説明を受けていた筈でした。
要は9:00~15:00の利用ではなく、9:00~16:00(延長料金込み)の利用に契約変更しておけば何の問題はなかったのでしょうが、「母が退屈するだろうから少しでも早く迎えに行こう」、という私の考えがベースにあっての9:00~15:00の利用時間設定だったんです。それを鶴翔園のO相談員が近視眼的な考えで嘘までついて契約内容を変更(契約解除)しようと図ったんだと思います。
★:私の僅かな逆襲=制度的に言えば通所(デイ)利用者の送迎は介護事業所の務め。
ここまで読んでいて既にお気づきの方は首を傾げていると思います。デイ(通所)の際の車での送迎というのは施設側の義務なんです。しかし、「母の送迎は息子である私自身行なう」、というのが私と母の希望だからこそ私は必死になって月曜~土曜と母の送迎をしてきたのですが、原則論を言えば介護事業所である鶴翔園側が母の送迎を行なうのが原則であって、国への請求書類では利用者の送迎を履行(暗黙の了承)しているかのような書き方になっているはずなんですね。
私は母が要介護3になって2年目の頃から母の通所の送迎を私自身が行なっているんです。デイ施設から迎えに来て頂いても、「今日は雨だから行きたくない/若い人に玄関まで迎えに来て貰って私は辛いよ・・」、とそんな母の朝の様子を見て、私が自主的に始めたのが母の送迎なんです。
まァ、帰宅時などはスーパーの売り場を車椅子で巡るのも脳の活性を良くするはずだし、お天気が良けりゃ公園や神社巡りだって出来ますからね。
ケアマネさんに言わせれば、「家族が送迎する分だけでも施設側は随分と助かってて、楽なはず」、と言います。雨の日の朝夕の老人の送迎は大変な事だと私も思っていました。
★:鶴翔苑には再度、言いたい。延長の料金の徴収がなされていて、15:00までに「母を迎えに来い」、とは理屈にあってない。
鶴翔園と交わした利用契約は母が要介護2の頃。しかし、母が要介護3、4、5と介護度が上がってもその都度の鶴翔苑との文書更改の契約書は何故かありません。要介護度に変化がある度に介助点数が変わりますから施設と家族側との確認文書みたいなものがあって当然なんですが、それが一切ありませんから、私達家族側は常に、「これまで通りのサービスだ」、と思う訳ですね。
前述したように、制度上からして[通所の際の送迎は事業所側が行なう]、となっている以上、鶴翔園側は送迎費用を国に請求しているんですね。そうであって、自主的に家族が送迎しているケースに対し、「朝が早過ぎる、帰宅は遅過ぎる」、という虚偽の資料を作成し、それに基づいて、「もう、当施設の利用を止めてください/利用して貰わなくて結構です」、みたいな話に持ち込もうとするのは大問題だと思っています。
★:母の利用時間は9:00~15:00.15:00~16:00は送迎タイム。
「迎えに来るのが遅れる分の料金は徴収している」、とそのような説明を受けていた私は毎月曜~土曜と母を送迎していたのですが、前述したように確かに15:30前後に施設へ母を向かう事もありました。それは「延長料金の徴収がありますから16:00までは構わない。それ以後は3F預かりになるだけ」、という説明に基づいた私の判断と行動でした。
他のデイ利用者のケースをみても「××さんの家族は昨日から旅行中で今日は20:00までは面倒みて欲しいという連絡あり。だから1Fのデイフロアには閉所時間の16:00まで留め、その後は3Fの入所フロアで預かり、その際の延長料金の計算は・」、という申し送りがなされているんです。
★:施設長の実質的不在は問題
鶴翔園の施設長は隣の併設された鶴田外科の院長ですから簡単には話をする事も適いません。この施設長の任じ方にも制度的な問題がありますね。私は他の3箇所の施設を訪ねてお話を聞いた結果、推測ですが次のような事が見えてきました。
①:集団入浴を嫌って自宅で入浴する人(母)からは入浴介助料というオプションを設定できない。
⇒しかし、この鶴翔苑は入浴サービスを利用していないのに入浴介助料が必ず徴集されている。
②:在宅での介護機器レンタルにポイント消費の比重があり過ぎる老人は施設でのリハビリの種類、回数等のオプションが設定し辛い。⇒母の自宅でのリハビリが充実している為、鶴翔苑としてはリハビリ代金が徴集し辛い。
③:要介護5になり、トイレ介助の時間が非常にかかるようになった。
鶴翔苑が持つ不満な点というものが考えられるのはこの大まかな3点でした。
上記の①.②は介護施設としての利益が上がらない。③は突然に立ち上がる、徘徊する・等の危険は減っても1回のトイレ介助の時間が危険で長くなっている・・。こんな事が理由として考えられました。
要するに、「午前中の入浴を利用しないんだったら11:00からの利用にしてくれよ」、とも受け取れます。
しかし、該当月の翌月に必ず家族がサインする確認書の明細を見れば、我が母は鶴翔苑の利用日には必ず入浴介助を受けたことになっていて、鶴翔苑としてはそのサービス提供分の請求を行なっている訳です。ここにデイ施設、Oという介助員の嘘があったんです。
★:よく聞かれる・コト
以前、ある講演会で「要介護5にもなると利用者の動きも鈍くなり、介護上のリスクは減って食も細るはずなのに要介護5になったが故に介助料も食事代もポーンを値上がりするのは制度としては如何なものか・・、要するに世話の焼ける年寄りは面倒が増えるという基準があるんだろう・・」、「介護施設側とすればオプション料の取りにくい動きの悪い要介護5の老人は減らし、要介護3、4の老人の数を増やしたいという思惑があるはず・」、というお話を聞いた事があります。この鶴翔苑の経営上の考えはまさしくその通りだったんです。そうであれば、認可の申請自体を変更すす必要があります。
★:手の平を返す施設側。
この度の、「要介護5になったら、別な特養に行け」、と言わんばかりの鶴翔園の態度・。母が要介護2、3の頃には「ツヤさんは笑顔が美しいから鶴翔園の販促ポスターに使わせて下さい」、と言っていた程でした。私自身、老いを憎むのは当然ですが、たった一人のOといううつ病気味の一相談員の存在ゆえに大江の鶴田外科が運営する鶴翔園に嫌気がさし始めたのは事実です。
☆:2010年4月4日。
★:先月、3月18日の件の続き
諸々の話し合いの結果、「実際の処を検証せず、申し訳ないことを言い出した」、としてこの鶴翔園は11:00~15:00の利用提案を引っ込めました。
しかし、いろんな物証を示してO相談員の嘘を見抜いた私の気持ちは収束はしません。そこで、朝の送りは私が従来通りに行なうのですが、デイからの帰りは原則的に鶴翔園にして貰う事にしました。私は職場から自宅へ先に帰って送りを待つんです。母の帰宅がいつもより遅いようだと、「何やってんだ!」、と言ってもいいのかも・・。
この度の鶴翔園との言い合い・、結局はその程度の事だったんです。
つまり、O相談員の嘘から始まり、私の逆襲としては施設運営の帳簿付けの虚偽記載にまで及んでしまい、鶴翔苑側が「役所へは報告しないでくれ」という形で収束しました。
介護施設にとって、一相談員の全くの作り話がこのような騒動を呼び込んでしまうんです。ただ、ここまでの状態になった私と鶴翔苑の関係です。この時点で私は以前から「私が勤める施設へツヤさんを通わせてください」、と声を掛けてくれる相談員とコンタクトを取り合い、「今後、鶴翔苑の諸介助に問題を見つけれは際には貴女が勤める施設で母をお願いします」という確約は取りました。
★:家族への介護制度の周知が不足している。
私達家族は介護保険証に記述される内容。制度に熟知しない為に読み方はよくは分かりません。35,800ポイントというのはトータルしてのサービス(介助)ポイントらしいという事だけ・。何が基本料金内の介助で何がオプション(有料)なのか、事態が起きてから説明を受けてもサッパリ・・。何がどのように従来とは違うのかが分かりません。
★:介護年金の支給を介護家庭への支給に変更しなければ介護事業所は介護家庭へ目を向けない。
欧州の一部の国で行なわれている国から介護家庭個々への支給・。その支給された範囲内で介護家庭が介護事業所のサービス(介助)を購入するスタイルに変更すべきです。
現在の制度のままだと介護事業所としては利用者の要介護度に応じて国から与えられた介助ポイントの全てを使い切ろうとしますから私の母のように(在宅入浴で)施設での入浴を断る老人は介助ポイントを消費できないから施設を利用して欲しくないわけです。
その一方、私のように家族が老人を施設まで届け、帰宅の際にも連れて帰る家庭は大歓迎だと・。国には送迎をした形で(違法な)請求ができると・、国にはその実態が分かりませんからね。
いろんな問題が生じる時というのは、介護事業所側が利用者、利用者の家族を無視した行動に出た時です。あのコムスン事件だって実際の介護士の数よりも多くの介護従事者を雇っているかの如き書類の作成、或いは無資格の者ばかりの事業所問題もありましたが、訪問介護(居宅介護)に行ってもいない家庭へ一日に3回も行っていろんな介助を行なったかもような書類作成の数々・・。与えてもいない3度のご飯と3度の薬を服用させていたかのような虚偽の書類の作成・・。酷いものです。
★:サービス(介助)の内訳を国が確認できないシステムの放置にも問題がある。
夫婦共働きで昼間は独居状態になった認知の進んだご老人なんて、「あァァ、・・誰かが来たような・・。私はお昼ご飯も、晩ご飯も食べさせて貰ったよ・・。あ・いや・・食べたと思う。ありゃ?」。ってな状態です。こんな家庭に、「3回行こうが1回しか行くまいが分かりゃしない」、という居宅サービス事業所が現実にあって、TVで放映されましたね。
私の母だって、「薬?・・、飲んだよ」、と言った直後、「薬をおくれよ」、と。ご飯を食べた直後に、「ご飯はまだ?。お腹が減ったよ」、と言う日があるくらい・。
結局、「介護事業所は国の方向しかみていない」、という部分に問題があるんです。せっせと働いて納めた介護保険積立金を国と介護事業所で掴み合いして奪い合う姿しか見えません。
★:介護年金の支給は介護家庭へなされるべき。
介護家庭への直接支給であれば、主婦はパートに出掛けずに在宅でご老人の世話ができます。要介護1,2の方々が次々と要支援(在宅待機)に回されていますが、これらは介護家庭への直接支給がなされて始めて打ち出せる政策のはずです。
あのコムスン事件にしても一介護事業所の従業員による内部告発が切っ掛けでした。
★:再び、鶴翔園・。
ケアマネ資格を持つ通所相談員が嘘をついてはいけません。このOさん、いつも顔が浮腫んでいて気怠るそうな表情。お年寄りからの評判も決して良くはありません。
そのO相談員の嘘を証明してくれた介護士のYさんの存在・。この鶴翔園には正悪混在、白黒混在、悪魔と天使が入り混じって働いているようです。
★:私はいけない事を言い、行なっているのだろうか。私の事を嫌がる利用者家族や介護従事者も・。
「毎日の朝晩に貴方がお母さんを連れて来ては帰りも一緒ですよね。その事を毛嫌いしている利用者の家族や介護従事者も居るんです」、という言葉を今回の鶴翔苑騒動の中で聞かされました。「あの人はデイ施設に我が物顔で出入りしている」、と・・。そう思っているのは、O相談員だけ。
「ニホンジンって貧しいなあ」、と寂しくなりました。私が日々のブログで語っている事の多くはこうしたニホンジンの心の貧しさを書いているんですね。
これ程に多様で厳しい時代になったというのに、町内会の住民の団体旅行から一斉清掃という慣習に至るまで明治・昭和の頃の古き慣習に縛られているんです。悪戯キツネに憑かれたように・・。
団体行動、同一行動だけが正義であって、個々の都合や生活状況、個々の信念、人生観、親子感に至るまでが否定されがちなこのニホン、という国・。
「オイ、隣の亭主が炊事してる、アレ、洗濯物まで干してるよ/ホレ、大工仕事まで/ハハ、隣には白アリがいるんだって・」、と。
私の家の周辺には私を単に起用者と言う人。嫁の尻に敷かれてという人。大工さんだと決め付けている人。面白いのは歌手だと思い込んでいる人・。いろんな人が居ますが、もし、日本が何かの危機に陥ったらこいつらはさぞかしうろたえるだろうな」、といつも思います。何故って、他人の生活だけが気になって仕方がなく、己の人生はそっちのけだからです。
「あの人はデイ施設に我が物顔で出入りしている」、と・。この鶴翔園を時折訪れる介護家庭の方々の声があるそうですが、それは勇気のなさの裏返し・・。人の愛情深い行動を妬み、人の勇気を嫌い、人の噂を生き甲斐に、人を批判する事が生き甲斐だという人種はこのニッポンにはとても多い。ぶくぶくと太るだけで100mも全力で走れない連中が何を言いやがる。噂を立てる前に俺の真似の半分でもやってみろ・と言いたいですね。
★:出る杭は打たれる・、でも構わない・。
「俺は杭になる」、と思っても打ってくれる連中がいなけりゃ杭にはなれません。杭になれてこそリーダーシップも取れるというものです。結局、打つ(責める、批判する)だけの側はやがてはその杭に「助けてくれよ」、とすがり付いてくるのではないかと思うんです。
この介護問題、老齢化が進む一方の我がニッポン。やがては韓国・中国と高齢化は国際的にも進みますが、絶対人口が減少し、若者の比率が限りなくゼロになるのが分かっていて策を打てない我が国。
確たる産業の確立もできず、不安定な経済構造と家族構成の中で崩壊していく一方の国民生活・・。一体、誰が誰の世話をするようになるんでしょうね?。
☆2010年4月10日
☆:今日のお袋・・。
居間にまでトントントンと軽快な音を響かせる私の包丁裁き・・。「ちょっとウ、これ辛過ぎよ/甘いよ」、と言わなくて、「フン・、美味しい/アァ、・幸せ!」、と言うようにもなった相変わらず帰宅が遅い嫁。世辞が上手くなったのかな?・。お世辞くらいに仕事場でも瞬間瞬間の難題を乗り越える能力を早く身につけて欲しいものです。
デイから帰宅後の居間で洗濯物を畳む母が、「さて、今日は何のお料理ですか?」、と私に聞きます。「今日は手を抜かせて貰うよ・。えーと、豚肉の味噌漬けがあるから俺達は堅めに焼いて、母ちゃんにはオーブンのトロ火で柔らかく焼いてやるから楽しみにね」、と返事すれば、「そりゃ、楽しみネ」、と言います。
そして、再びトントントンとまな板の音を響かせていると、「何を切っとる音ネー」、と母が・。
「えーと、卯の花炒めを作ろうと思ってニンジンや玉ネギ、ピーマンを小さく切っとる音さ。でも、・・音の数ほど切れはせず、ってとこかな」、と言えば、「ホホ、アンタの腕前じゃそんなもんだろう」、と母の強気の発言・。私は思わずグニャっと。
いよいよ新学年、新学期・・と新づくしの新しい道への第一歩。これまで以上に頑張りましょうね。決して横並びではなく、夢を満ち続け、周囲には差をつけるくらいの頑張りがなければいけません。
入園・入学、入社・・と、たとえこの春はことごとくつまづいたとしても、誰もが新しい環境への第一歩を踏み出す事には変わりはありません。ナニモカモガ・コレマデトハ・チガウンデス。
★:土に帰ろう・
・なんて農業の見直しや海に生き甲斐を・!とか言っては漁業の勧めも目立つ最近ですが、全ての国民が農業・魚業に従事してもどうしようもありませんね。
全国の公立高校受験倍率は昼間で1.04倍?。私立を含めると1倍以下。大学なども全国の国公立私立を合わせると1.0倍を遥かに下回り、全員が入学可能な状態ですって・。
学問や研究に勤しむ若者を育成するのが目的ではなく、学校法人として如何にして利益を残すかというものが強調されるようになり、学問ではなくて学歴だけをつけさせる場と成り下がった大学・。
★:国立系の大学でも価値観が下がっている。
私の野球歴での付き合いがある人の息子さんなんですが、熊本大学工学部3年に在籍する若者が私を訪ねて来ました。
「就職活動をしている中で、『熊大工学部が何なの?まさか、自慢しちゃいないよね。そんな学歴なんかよりも、君がゼミで受けている教授は誰なの?。それに、君が個人的に取得している国家資格等があれば教えて欲しい。次回の面接時にはその国家資格をどのように君の人生の中で生かしていくつもりかを聞かせて貰います』、という質問が増えてきた」、と言うんです。
つまり、その若者のゼミを受持つ教授の人間性や社会的存在感を知る事で若者の将来像の半分以上が企業側には理解できるんですね。だから、ゼミでは担当教授の社会的貢献度を知った上で選ぶべきですね。
それに、国家資格の取得の有無は企業側にとっては学歴以上にその若者の積極性を知る要素になるんだと思います。簡単に言えば、横並びの学歴だけでは通用しない社会になってきているんです。国民総白雉化という言葉が流行した時期がありましたが、現在の国民総大学卒に近い現代では従来のような学歴だけでは個々の資質が計れない世になってしまった、という事なんでしょうね。
産業が育たない国に学歴は不要でしょう。これからの我が国には誠実で力強く発想の豊かな若者が望まれる時代が暫くは続くような気がします。
★:ベンチャー企業系の設立等で成功している者には意外に高学歴者は少ない・。
必ずしも正道とは言えませんが、ルールが無視されがちな資本主義経済の過渡期では常識知らずが無謀に始めたビジネスが成功している例が幾つもあります。ホリエモンが作った組織のようにゲーム感覚で成功するケース、三谷さんの楽天のようにご本人よりも初期スタッフが人間的に充実していて成功するケース。
この2つのケースに共通するのはリーダーシップであり、常に世の中に疑問を持ち、批判する姿勢と能力ですね。
★:高校出てから3年くらい出家し、試行錯誤の中で人生を組み立て社会に打って出るのも・。
いいかも・ですね。世の流れを見ていると、1歩前進2歩後退・のような気がするからです。一体、我が国はどこへ行こうとしているんでしょうね。若者よ、世の波に安易に飲み込まれ、心身に不要な傷を負ってはいけない。
私はよく思うのですが、情報に心乱され、「ついていける/いけない」、と焦るのは自分自身が情報を求めるから・。
情報を求めずにはいられない自分がいて、そして、知ってうろたえる。
でも、情報は刻々と変化します。そして、その情報が正しいとは限りません。今の世は目の前の情報が「いつまで正論なのかが分からない時代」、なんです。
いっその事、求めなければいいんではないかとも思うんです。世の喧騒を避け、隔世の世界に身を置く事と引き篭もりは全く別だと思います。
★:日本再生・・。
多分、この国の教育から福祉関連に至るまでの事業や政策は必ずや行き詰まるだろうと思っています。この国を支えてきた産業が世界に並ばれ始め、追い越されかけているからです。
資源はない・、人は居ない・、リーダーも居ない・。国民はクイズのボタンを押すが如く、政治家の優劣をコノミだけで選ぶ事を選択しようとしています。国民主権のハキチガイ。雨後の竹の子のように乱立する各種の経済団体、政治団体は国民の目の届かない場所で政治家に圧力を・。
★:君のフルサトはどこに。
生れ落ち、与えられたお乳は牛の乳。抱かれあやされ育った場所は託児所に保育所。家族はと言えば両親に子独り・。友達を作る勇気も手段も知らず、妙に懐かしいのは託児所で眠ったお姉さんの胸の中・・。
共働きの母親から、「ごめんネ、夕飯・食べといて」、と渡されたお金で買って食べたハンバーガーは成長ホルモン入り餌で育った肉を挟んだもの・。心は子供のままで身体だけが成長し、性的な欲求だけが先行しては学校帰りの帰宅途中、友人に誘われ覗き見たアダルト動画で一気に変質的な大人に・・。
夕飯の釣銭で買った煙草を始めて吸った時、紫雲の煙の向うに突然に見え始めた人間社会の限界・。「俺は14歳で老いが始まりましたよ」、と少年院という檻の中へ・。
やがて、心身のアンバランスに耐え切れずに引き篭もっては中学を退学・。外へ出る勇気をつけようと社会に飛び出せば互いに無関心な目が異様に吊り上った人間ばかり・・。その上にガツガツとした過剰な情報だけが嫌でも耳に・・。
これは私が野球チームを2つも所有していた頃、「監督、・自分の居場所はここにしかありません」、という会員から実際に聞いた話の一部です。この若者が今年は29歳になるはずです。
☆2010年4月15日
★:現象(出来事)←原因←因縁
近年になって話題になりつつある裁判員制度ですが、昔から犯罪心理学というのがありますね。何故か悪質な超常的猟奇的な事件ほど軽い判決が下されつつあると思いません?。「精神異常をきたした挙句にあのような事件を起こしてしまった」、と精神分析の専門家が言えば罪が軽くなっていたんですね。
でも、罪は罪だと私は思いますね。殺人者が懲役7年以内で出獄するというのは不可思議です。私は死刑そのものは嫌ですが、せめて懲役55年程度。犯罪者に社会復帰は必要ないと思っています。
悪質で変質的な事件になればなるほどに、「育った環境や家庭状況が・・」、等々と根堀り葉堀り憶測憶測で分析され。挙句の果てには、「本人には犯罪を犯した自覚がない」、からと犯罪者ではなく、精神病扱いとなるんですが、・・犯罪というのものが起きる瞬間などというものは、それが起きる寸前までは正常であって、お事件が起きた後に「狂気の瞬間があった」、と解釈されるべきであり、この状態には誰だって入り込む瞬間はあるはずだと私は思っています。つまり、常日頃から精神を病んでいる者も狂気の沙汰は起こすし、常日頃は穏やかで冷静な人間であってさえも瞬間的には正気ではなくなる事は十分にあるはずです。
あの事件を憶えていますか?。十数年という長い期間、自宅の2階に女性を拉致隠蔽していた男の事件です。
街中で女性を拉致する瞬間の男は狂気からだったとしても、その後の十数年間の日常がそうであったとは私には思えず、万が一、そうであればあの男こそが精神を完全に継続的に病んだ者であり、一階下に住んでいた家族こそが一番の異常者ではないかとさえ思えます。冷静に考えれば、家族が警察へ連絡すれば良かっただけのことです。
あの事件の結末はどうなったんでしょうか?。次々と起こる悪質な事件の一方で次々と忘れゆく私達・・。まるで、週刊誌をめくるように、「次はどんな事件だ?」とばかりにどこかで楽しんでいる私達日本人・。これも異常な姿です。
★:精神分析の専門家は、
事件を起こした動機や原因だけを追求しますね。そうした事件を起こさせるような家族構成だった、父がこうだった、母親はああだったと・と。多分、そんな環境なら普通に暮している私達の人生だって似たようなものなんですね。だから、両親が事件と関わりがあるような分析はやめて欲しいと思います。
それを言い出せば、「その当時の日本国家という体制そのものがその事件を起こさせる引き金になった」、と言うようなものに行き着いてしまうからです。
★:目には見えない因縁。・・それは[念]。思い・・。
誰しも反抗期ってありますね。親に対してだけではなく、社会体制に対する反抗だってそうです。私の場合、母親を睨みつける一方で、「あァ、今日の晩メシは美味いなァ・」、「お袋っていいなァ」、って思いながら育ちました。
だから、この矛盾する自分の姿に気づいた時には既に反抗期が終わっていました。だから私の場合、母親に対する反抗期は1日半で終わりました。お腹を満たしてくれる人に対して恨み心を持ってはいけませんよ・ね。
でも、父親に対する反発心は出たり引っ込んだりの連続でした。だって、「我が家から何かが無くなったらお前が盗んだはず」、「我が家の障子を破るのはお前以外はいない」、「我が家の屋根の雨漏りを修理するのは次男の役目。長男には危ないからさせない」、etc。私はそんな環境で育ちましたからね。親父を恨む瞬間って日常でした。
今でも、「あの時の親父の言葉は嘘の塊りで決め付けるだけで俺を責めていたよな」、と思います。だから、「あのような言動は誰に対してもすべきじゃないなァ」、と思ったりしますから、今になってみれば懐かしい父親です。
問題は、思い続ける[念]なんです。恨み続けて解決する事がない念が時として犯罪を呼び込むのです。
父や母に対する恨みの念が、いつの間にか姿を消した両親に変わって世の中に対する念として摩り替り、見知らぬ目の前の他人に襲い掛からせるのです。
持ち続ける恨みの念を自己解決する能力のない者が犯罪を起こすんです。親や兄弟などの家庭環境なんて無関係だと思っています。そうした意味で言えば、私は父親には感謝する部分が多いものです。
多くの場合、そうした念は兄弟や友人達によって解決するのですが、核家族化が進んでしまった我が国では相談相手が居ない・。居ないからヒートアップしたままで軽弾みな行動に出てしまうんですね。一体、生きるってどんな事を言うんでしょう?。
☆2010年4月16日
★:異常なデフレ(物価安)でも客足は遠い・。
始まっていますね。モヤシなんて1袋が¥26なんてザラ。先日は¥19という値をみました。それに豆腐は118していたものが¥36、卵が¥S玉で105していたのが¥98(10個入り)。もっとも、特売日、限定品、1人1個まで・・、といった条件つきではあるんですが、実に多くの品が値を下げてそれぞれのコーナーに並べてありました。
中には、不揃いサイズのニンジン、キュウリ、白ネギ類、ゴツゴツと白い部分の残るイチゴ、それに刺身用のイワシが刺身をとれなくなって煮付けや頭をとってフライ用、ツミレに形を変えたりしたものが所狭しと並べてあったのですが、それでもひと頃に比べたら来店者は少なかったですね。
★:日本人って・。
不揃いのニンジン、キューリやナス・を普段から店に置いとけばいいのにですね。農協が集荷して工場で洗浄・箱つめなどをする際、野菜のサイズが一律でないと箱詰ができなかったり、重量が違って苦情が出るからなんですが、消費者にとってはそうしたクズ(規格外)野菜でも何の問題もないんですが、私などはクズニンジンやクズキューリは糠漬け用に大歓迎です。それにしても、あのクズ野菜を店頭で見る度にデフレ感というものをヒシヒシと感じますね。
★:大量消費を支えて来たカラクリの一つに・・
冷暖房や人工照明を完備したビニールハウス、漁業では養殖がありますよね。この設備には相当の設備費や維持費が必要なんです。そして、こうした野菜栽培や養殖の現場であってもサイズ不揃いの野菜やお魚さんは幾らでもできてしまします。このサイズの違いって人間社会でもありますよね。
生まれた順序のせいなのか、植えられた場所が悪かったのか、それとも人間様の手によって成長の途中で摘み取られた為か、必ず出てくる劣等集団・。まるで、人間社会ですよね。
★:でも、原則論で言えば自然のサイクルを変えた事がデフレを作りだしている一因でもある。
一時期、我が日本には全世界の食料の75%ですか?・・、それもありとあらゆる種類の食料が集められていた時期があると聞きます。それでも不足するからと東南アジアを始めとして外国でも野菜、穀物からお魚に至るまでの食料増産の技術を与えては確かに技術革新の恩恵を与えたはずであり、欧米では遺伝子操作という技術を使って動植物の成長を早めては食料を調達し始めました。
ビニールハウス技術や遺伝子操作技術・・、これらの全てが食糧増産の手段だったのですが、こうした技術を以ってしても、全世界で消費される食料の絶対数が不足していますよね。
★:大量消費を見越した大量生産の裏で
価格と言うのは生産と消費のバランスで決まるのですが、販売価格の安定性を追求した結果、本来は生産されているはずの野菜や穀物、果物からお魚に至るまでのモノの多くを廃棄してまで市場に出回る量を決めていたんです。見栄えがいい、加工し易いという理由。それに、常に消費量よりも少な目に流通させる事による価格の安定です。・・価格調整/生産調整。
★:結局、同じ事の繰返し。資源の無駄な消費だけ・。
クズ野菜にクズ魚と区別なく万遍なく流通していた頃、それで何となく得られていた国民の満足感、幸福感、生活の充実感・。それでも、この地球の何処かではあったはずの食料危機・・。
一方、先進国を中心に大量に生産されて大量に消費される現代の食糧事情・。ビニールハウスで植物の発芽時期を狂わせて多種大量の野菜、穀物、米に果物類を生産。遺伝子操作を行なってまで自然の影響を受けずに育つ植物・。それに、成長ホルモンの投与までして成長を早めさせる養殖技術。それでも、尚、食糧危機が続いているではありませんか?。
市場原理ゆえの価格調整の結果、クズ野菜、クズ魚は勿論、売れ残った高級食材までが破棄される一方では食糧難。この全てが貪欲な人間が作り出した少量調達サイクルなんですね。
★:禁断のリンゴどころではない。我々は禁断の自然サイクルに手をつけてしまった。
貧しいままで良かったんじゃないかと思います。「より美味しいもの、より珍しいモノ。まずけりゃ美味い味に作り変えよう」、と。「渋い柿なんて要らない。最初から甘い柿に品種を変えよう」、「小さい魚はリリースするより加工して缶詰に」、と。
★:植物などは本来の自然栽培に戻せば、収穫期間が限定され、市場に出回る時期が指定され本来の価値が発揮できるはず。
ビニールハウス栽培や遺伝子操作による短期大量栽培を行なうから季節野菜としての価値感が薄れては市場価値も下がるんですね。値が下がるからこそ農民は必死になって別な季節野菜を植えますが、これまた栽培方法は人工生育です。それぞれの季節に合うそれぞれの野菜を植える事が如何にデフレを防ぐかを考えるべきだと思うんです。
最近、よく出回る野菜類を見てご覧なさい。ホウレン草、キュウリ、ナス・・、実に多くの野菜類が短期栽培、継続消費ができるように改造された野菜ばかりだと思いませんか?。そうやって野菜本来の季節感を失わせるから価値感まで失うんですね。特に無謀だと思うのは本来の野菜が持っているはずの薬膳効果を無視している事です。
例えば、サラダ玉ネギ・。今は高価ですが、あれには本来の皮のヌルヌルがあって目が染みますね。あの玉ネギが昔からある品種であって、最近出回っている皮のヌルみのない品種は改良された品種なんですね。
ホウレン草だって本来は根元が赤く、葉も厚くて日持ちのしないのが特徴なんですが、最近のホウレン草は日持ちがするように葉肉も薄くて日持ちがする品種が主流ですね。こうした品種改良の行なわれた野菜類がいつの間にか主流になってしまいました。皆さん、この観察眼というものは時の推移を知る上で本当に大切な事です。
以前のブログにも書きましたが、現在は世界中で雌雄一体の魚介類が増えているそうです。特に、貝類などは移動する距離が短い為、港に停泊する船舶や養殖網や魚網に使用されるフジツボ剥離剤や塗料などに含まれた高濃度のホルモン剤が海水に溶け出した影響をモロに受けてしまうんです。
この剥離剤や塗料に含まれる成分とは女性ホルモン剤です。つまり、1個のフジツボの精子で何億というフジツボを誕生させる事ができる訳ですから、・それを出来ないようにするにはオスフジツボをオスとして成長させない。つまり、オスの機能を持たせなければいいじゃないか、という理屈ですね。
そのホルモンの影響を受けたフジツボや貝を餌として食べた魚、その魚を襲っては食料とする魚・・、という食物連鎖の結果、私達の身体には知らないうちに大量の女性ホルモンが蓄積してしまうんです。それに、養殖場でも早く出荷させる為に成長促進ホルモンが使われています。
定期的な取り締まりはあるようですが、公共施設の消防訓練同様、事前通告というのが我が国の慣例ですから、「どうにで誤魔化せる」、と・・。問題は、「そんな事を徹底されたら、日本の食卓に上がる魚介類の数が減り、価格も上がってしまうゾ」、と知人の養殖業者は反論さえします。第一、街中を歩く日本人のブクブクと太った姿を見てくださいよ。あれが女性ホルモン剤を使った飼料でそだった野菜や肉魚を食べた結果であり、「太っている割に貧血が多い」と言われる地球人の姿であって、100mと全力では走れない現代人の姿です。
★:野菜の話に戻して・
太陽の下で育てる季節ごとの野菜であれば育つ期間、出荷する量も期間も限定されます。勿論、クズ野菜は出ます。対して、人工灯や空調の下で育てる野菜は大量・多品種が短期間で収穫可能になりますが収穫が多過ぎて市場価値が下がります。価格が下がらないように破棄します。
でも、この破棄した分やクズ野菜にだって光熱費は注がれているんですね。実は、この破棄する分の経費を回収する意味でも過剰な量の破棄をして常に出荷する野菜の量を需要量よりも少なく出荷しなければいけません。
今日のスーパーで見掛けた野菜の高い事。アスパラガスが3本で¥250、キャベツが半分カットで¥180・・、天候不順が原因と言いますが、キャベツ類は地植えですから仕方がありませんが、明らかにビニールハウス育ちのはずの野菜類までが一緒になって値が上がっていました。デフレとインフレが混在する時代・、専門家は危険な兆候だと言いますね。
☆2010年4月17日
★:山椒、春菊
スーパーでは3mmほどの貧弱な葉を左右で10葉ほどつけた山椒が5~6枚で¥200近くしますね。ウナギにも素麺にも竹の子やナスの味噌和え、冷奴にもお吸い物にも・。いろんなものに似合う山椒・。この山椒ですが昨年の我家の庭では全く元気がなかったのですが今年の庭では凄い勢いで芽を出し葉をつけています。一昨日も、昨日も今夜も我家の食卓に山椒の香りがプンプン・ププン。この山椒は雌雄別体で、雌の木が実を付けてその佃煮が作れるんですが市販される苗は雄の木が多いようです。
夕飯の途中、「母ちゃん、庭で山椒をとってくるよ/ミニセロリもとってくるよ/パセリをとってくるよ」、「すぐに戻るから座ったままで楽しみに待っとってね」、と。「楽しみに待っとってね」、と言えば母は約束を守って動こうとはしません。
我家には香菜が一杯。春菊などはひと雨毎に背丈をグングン伸ばしますから食べるのに必死です。とは言っても、植えているのは脇役ばかりですからね。春菊などは熱を加えればシュンと小さくまとまってしまい味噌汁のサブ的存在。
でも、朝に夕餉に多いに助かっています。ミニセロリやパセリなどはハンバーグやイモサラダではいい役割を果たしてくれています。昔から玉子焼きにはニラとか言いますが、あれが嫌いな人はミニセロリ、パセリを入れるといいですね。
★:最近の天候不順
桜が終わって花ミズキが咲き、余りの陽気に気の早い菖蒲が、「もっ、・・出番かしら?」、と開き始めたかと思うとアレレっ、一転して雪が・。25度の夏日を記録したかと思うと雪が降ったり・。最近のお天気は何か変ですよね。言動がクルクル変わる人のことを、「お天気屋さん」、って言う意味がよく分かります。
「今日は昨日とは違っていいお天気よね」、と私。
「私はガッコウで勉強しているから外が晴れだか雨だか分かりゃしないよ」、と母・。
「??、あァ、そうそう。そうか、ガッコウの中にばかり居ては外の事が分からんよね」、と私。
「そうさ。勉強ばかりしたからって貰いが多いちゃ限らんからネ。世の中の事も知っとかんと・」、と母。
「モライ?・・あァ、貰いね。外に出てこそいい事と出会える事があるって事ね」、と私。
★:最近は母本来の陽気さが戻ってきた&メリハリの利いた母との会話。
暖かくなってきたからか、最近の母はとても陽気になっています。これには天候以外の理由があるんです。この数ヶ月の間、私自身がメリハリの利いた会話を試みているのも効果を上げているのかもしれません。例を挙げると・・。
母の言葉や態度にダラシナイ、投げやりな言動があった時には激しく注意をします。正悪・白黒の問題ではなく、私という人間が母にとって優しいだけじゃなく、激しい厳しい人間でもあるという事を理解してほしいんです。
車椅子から居間の座椅子に移る際にも、「はい、テーブルに両手をついて!。次は後ろの椅子の肘掛を両手で掴んで!。はい、自分の身体を両手で支えながら座って!」、という感じです。
また、料理の盛り付け、洗濯物畳み・等をさせる際には、「無理せんでいいからね。やれるだけやって疲れたらやめてもいいから」、と頻繁に私の気持ちを伝えながらやって貰っています。
テーブルから立つ、車椅子から座椅子に写る際、ベッド横に立たせて衣服を着替える際などには厳しい態度で接するようにしています。この厳しさと優しさの分岐点というのは母にとっての危険点でもあります。
「今の俺はアンタを支えちゃいない/失敗したら転倒や骨折などの命の危険があるんだ」、という事を身体で理解して欲しいからです。
それに、最近ではトイレの母がテッシュを使おうが手を洗うまいが見逃すようにしています。綺麗・汚いは危険とは直結しませんからね。母が用を足している間に私が濡れタオルを作っておけばいいだけの事です。
★:中敷きパッドの使い分けは大事
母の日常で一番大きく変えた処はと言えば、数種類の中敷き(尿取りパッド)を使い始めた事です。
就寝前にはレギュラーサイズではなく、左右にフリルのついた幅広のパッドを使うようにしました。これで大量失禁があっても紙パンツにまで溢れ出る事が少なくなり、夜間の作業が楽になっています。
夜中に母が起きた際、排尿前なのか、既に失禁した後か?。トイレの便座に座った後の母が排尿をしたか否か・、もポイントになります。失禁して起床したからトイレでの排尿はないだろうというのは早計ですね。それに1回の排尿の量が多い時は2回目だ3回目だって多いものです。
★:排尿感。頻尿の仕組み・・。
皆さんのパソコンモニター全体をバケツに見立てて下さい。そして、外枠左側の数箇所に上下可動式の水道蛇口があるというイメージをしてください。つまり、バケツが膀胱(オシッコ袋)で水道蛇口がチンチンというイメージです。
健康であれば、本来の蛇口(チンチン)はバケツの底(モニタの左側一番下)にあって当然ですが、老いを重ねるうちに、或いはその日の脳の状態なのか排尿を察知する回路(神経や筋肉)が異常になるんだと思います。
何度もトイレに行く、行った割には出るオシッコの量が少ないという頻尿とは上から2㎝の場所に蛇口があるからオシッコが出ても量は僅か・・。つまり、幾らオシッコが満タンだったとしても蛇口が上から2cmの所にしかない日であれば出る量も僅か・。出した筈なのに残尿感が・だからまたまたトイレに行きたくなる・と。
こうした人のこの日というのはバケツ(膀胱)には常に8割の尿が残っていて、2割のオシッコが溜まれば尿意を催すと・。寝入るうちに残りの8割を失禁してしまうという状態を繰り返すんだと思います。
★:振り返れば、2010年3月29日、ようやく母の尿意のサイクルが理解できるように。
この2010年4月、母と私達夫婦との暮らしが8年目に入りました。母のこうした排尿の仕組みが母との叫び合いの中で少しずつ理解できるようになりました。
老いていくだけの母に、「しっかりしろよ」、と言うだけでは哀れ過ぎます。私や嫁が感じる綺麗・汚いというレベルで母を見てはいけません。実は、母自身が「何でだろう?/いつの間に私は・」、と思っているはずです。
「もう、何でもありサ。いいじゃないか!。もう、お袋は97歳だよ」、ってね。
ただ、皆様。失禁とは異常排尿や排便の状態を表現する言葉だけではなく、突然の涙や笑い・、これらも感情失禁と言われるんです。つまり、ワザと失禁しているんじゃなく、知らず知らずに溢れてくるものなんです。
☆2010年4月18日。
★:基本的にデイからの帰宅は施設側に依頼する事に・・。
先日、通所の利用時間帯の件での施設側とのトラブルの話を書きました。「入浴を自宅でするからオプション料が取れない」、というのは事実のようでした。だから、入浴をしていたかのよう資料作成をしていたと・・。
母の場合には毎月曜~土曜の利用ですから介護事業所にとっては是非とも欲しい入浴サービスの点数でしょうが、よき観察眼を持って介護に従事する現場の人や母親を預ける側の意見としては施設側の意見とは全く別ですね。
★:介護従事者は入所組と通所組の意識の違いを知るべき
お年寄りが持つプライドというものは私達の想像する以上のものがあります。私達が留意する必要があるのは入所組と通所組のお年寄りに対する介護事業所というものはお年寄り自身の状況認識程度や預ける側の介護家族の意識の違いを明確に知っておくべきです。私の理想は「せめて入浴程度は在宅で」、です。
お年寄りにも家族側にも入所への何らかの躊躇いがあるからこそ通所をしているんですね。私などは自営で小さいながらも会社のオーナーだからこそできる在宅介護。勤務時間は月曜~土曜の9:00~14:00ですから収入だって自ら低く抑え、特にこの4年間の手取り額は生活保護家庭以下しかありません。
でも、母には出来る限りの普通の暮らしをさせたい介護家庭が施設の勧める入浴サービスに応じるはずがありません。この入浴介助・、母は私や嫁が行なう介助でさえも嫌がるくらいですから施設側に任せるのは不可能な事です。
★:一時が万事。こんな奴も居る介護の世界。
数年前に母が骨折で入院していた西日本病院で目撃した事ですが、そこでは何人ものお年寄りの入歯を集めて同じ器でゴロンゴロンと洗うんです。最後には軽く流水で洗浄するとは言え、「これが看護・介護に従事する者のやる行為か!」、と驚きました。
本来、この病院自体としてはそんな洗い方の指導はやってはいないんです。特定の看護師・介護士さんが始めだして常態化していたんです。まるで茶碗を洗うが如くに入れ歯を・。こうしたことの結果、母の入れ歯が別な人に渡されて「この入れ歯は合わない」問題が日常的に起きていました。
母が通う鶴翔園でも似たような事は沢山あります。お年寄りの担当は3ヵ月間隔で入替わるんですが、ある特定の介護士さんは食後の入歯を絶対に洗いません。それに、中敷き(尿取りパッド)も交換せずにさえ汚れたまま・・。
それがたまたまであればいいのですが、その介護士さんが母の担当の際には必ず食後の入歯・中敷きが汚れたままだという事は常にそうした仕事しかしていないんです。これが介護士の世界の現実ですから、多くの介護士さんにとっては迷惑な話です。
そうかと思うと、「今日はツヤさんの失禁の量が多くて、中敷き、紙パンツ、スペアズボンを交換しました」、と口頭で告げてくれ、汚れたはずのズボンの洗濯までしてくれている丁寧な介護士さんも確実にいるんです。
★:管理職は現場を知らない。人事も考えるべき。
介護ってサービス職です。勤務が長いからという理由付けではなく、現場での一人一人の働きをよく査定すべきです。真面目に誠意的に働いている介護士さんの上に立つ者がいい加減だとこの施設は施設としての機能は必ず停滞しています。サービス業が評判を落とすのは早いものです。
よく、「立場が人を育てる」、と言いますが、特殊な環境で育った者では新たな環境についていけない者も居るのは事実だと思います。
★:相談員の嘘は施設としての嘘。
「ツヤさんは送迎エリア外から来所されていますし・・」、と言う鶴翔園のO相談員の言葉に対しては今でも怒りを持っています。2004年には懇切丁寧に母を誘ってくれた施設でしたが・・。
「O相談員がそんな嘘を言ったんですか?。ツヤさんは利用者の中では近い方なのに・」、と言うのは最近になって鶴翔園に勤めるようになって送迎役も兼ねる社会福祉士の資格を持つある女性・。
兎も角、相談員Oの上司だというYさんに対し、「私が母を迎えに施設へ来るのが遅いというデマ指摘を受けない為にも今後は基本的にデイからの帰宅は鶴翔園側でお願いします」、という事で落ち着き、神社散歩などの目的で私が連れて帰る日だけを前以て鶴翔苑側に伝えておくようにしています。
★:指摘されたから逆指摘を
「お母さんを連れて帰る為の息子さんの迎えが遅い」、と指摘した鶴翔園ですが、「では、迎えに行くのを控え目にするから原則的に鶴翔園で送って下さい」、という事になったのはいいんですが、母が我家へ帰ってくるのは15:30~15:40・。これだと私が母と一緒に帰宅していた時間と殆ど同じ時間なんです。
この度の施設側との言い分は実態として実に意味のない結果になっています。でも、実際の処、ずっと疲れ気味だった私にとってはいい感じの骨休みになっています。14:00に仕事を上がって買い物して自宅へ直行して母が帰宅する15:30までは僅かな時間ですが身体を横にできるようになりました。
★:漏れて聴こえる声・・。
デイ通所には4-6やら6-8やらゴチャの利用時間帯があって、厳密に決まり事を言い出すと送迎の為の車や運転手の確保が大変だ・と聞きますね。だから、本来であれば14:00から送り出すはずの利用者を待たせた状況を作って15:00送り開始の利用者と一緒に園を出発する事はザラだと・・。つまり、4-6も6-8も実態としては変わりないと・。この意味が分かりますか?。後述します。
ただ、母が適用されている利用時間帯自体、私は今日の時点でも知らないし、聞けば聞いたで、「あれっ、エート。調べておきます」、と実に曖昧なんですが、それはこの鶴翔園自体の帰宅時の送り車や運転者の手配の都合があるんだと思います。
この辺の事情説明もせずに、「歩けない奴、入浴しない奴。もう、利用するな」、みたいな言い方をされれば、「黙れ、この気紛れブスのO相談員が・」、となるんです。
母を担当される地区ケアマネさんのお話を聞く限り、3-4やら4-6やら・。極端に言えば1-2も2-3も3-4、4-5もあり得るとか。3-4とは3時間の施設利用で送迎の1時間を含ませる計算方法ですね。
それはそうでしょう。デイ施設の隣地にお住まいの家族で利用される場合、歩いて通える距離です。車椅子で迎えに来て頂いても往復の送迎で2分程度です。こんな利用者だと3-3でも4-4でもあり得るはずです。そんなこんなの利用者の通所事情や施設側の事情があって制度としての曖昧時間というものの設定が必要なんだと思います。
私自身が送迎を行なうようになる以前、鶴翔園からの朝のお迎えは8:20頃。そして、送って貰っての帰宅時は15:20過ぎでした。それを思い出せば多分、母は4-6扱いだと思うのですが、母が入浴を拒否するというのもあって、11:00~15:00の「3-4扱いにします」、という一方的な通知だった訳です。
☆2010年4月19日。
★:メールでのお叱りに対し
「親の介護を施設に依頼しておいて、家族がその利用時間を知らない、とは何事だ」、という内容のメールがありました。私の説明が不足したようですが、「母の要介護度が数年の間で2~5と変化していく過程があっても受け入れ施設の鶴翔苑からは母の介護度数の変化を根拠の新たな契約書が作成されない、と事実があります。
つまり、施設・鶴翔苑に通い始めた頃の母は要介護度が2から3に移行する頃。最初の契約時は6-8の時間帯でした。施設からの迎えがあるのは朝8:20頃。そして、15:20頃には自宅に戻ると言う契約です。
そんな中で起きた我が家での2005年12月末の母の転倒骨折事故でした。原因は、「雨の中を迎えに来て貰うのは申し訳ないから今日は行かない」、という母の遠慮が引き起こしたものでした。つまり、この当時は送迎時間を含んで鶴翔苑にお世話になる時間帯は7時間程度の利用だったんです。つまり、6-8です。
☆:その後・・
骨折の為に西日本病院に約3ヶ月間の入院治療をして、暫く自宅待機してからリハビリ入所と言う形で鶴翔苑へ戻るのですが、この期間が3ヶ月間。その退所後の母は認知も進み、嚥下障害や失語症も出始め、歩行リハビリ効果も薄いと感じた私は独自のトレーニングを行なおうと考え、「送迎は私自身がやります」、と申し出て、現在に至っているんです。
私自身が送迎を行なう事に関して、鶴翔苑からは、「それは助かります」、という声は聞きましたが、この時点では従来の6-8契約に変更がある事等は私は知らされていません。ここに鶴翔苑側のミスがあります。
6-8時間枠の中ですから私としては9:00までに母を施設に届け、母を迎えに行くのは15:00以降、15:30くらいまでであれば鶴翔苑が行なっている送迎タイムと何らズレはない、と思ったんです。
★:いつの間にか6-8が4-6に変更されていて、それを更に3-4に変更されようとしていた。
私自身、私が母の送迎役を務める事で利用枠が増え、「別なサービスを提案して貰えれば・」、と思っていた程でした。しかし、今回の騒動の中で知ったのは、「実は、貴方のお母さんは4-6を適用されています」、という声。そして、「午前中の入浴を希望されないようなら3-4の利用にして貰います」、という事だったんです。
★:現実には4-6、6-8の利用区別なく、施設Kは15:00以後の帰宅送りに統一している。
結局、介護スタッフの都合、送迎車両の不足があるからか利用者の滞在時間とは無関係に15:00から帰宅送り、16:00消灯閉苑なんです。要するに、だからツヤさんの送迎はしてくれ、入浴サービスも受けていることにしてくれ、と言いたかったんだと思います。
★:問題だったのは、母の状態変化の過程で鶴翔苑との間に新たな申し合せ(契約変更)が為されていない事。
母はこの鶴翔苑を利用する間に要介護2から3、4へ、そして2009年11月には要介護度5になっています。母の骨折入院~退院~入所~対処~再通所という変化の中での母の要介護度が5へ変化したんですが、鶴翔苑側からのサービス内容の変更に伴う契約変更の申し出などは一切なかったことです。申し出がないから、家族側は2004年の利用開始の頃の契約ままだろうと思いこむ訳です。
介護家族が思うのは介護度が上がる度に、「同じ食事、同じサービスでも何故料金だけが上がるんだろう。施設での母は老いが深まる度に静かになり、動き回る危険も確実に減っているのに・・」、と感じる程度です。
★:突然の一方的な通知に怒った・私
今日という母の一日は2ヶ月近く前に地区担当ケアマネさんと私達介護家族が一緒に作ったケアプランを施設届け、それに基づいた一日のはず。それは昨日という日も明日という日も同じはずなんです。
処が、4月まで残り10日余りという時期に、「4月1日からは11:00~15:00のご利用とさせて頂きます」、という1通の文書が通い帳に挟んであったんです。勿論、母以外にもこうした通知状を受取った方はいます。これでは、事前のケアプランの作成と提出意味がありません。
本来なら、「制度が変わった/施設側の都合で・」、と事前の話合いが一ヶ月半前には為されて当然だと思うんです。まるで、「明日から家賃を上げるぞ」、と通告する悪徳家主然としたこの施設・鶴翔苑。
★:「はい、そうします」、という介護家族が居るものか。
普通に会社勤めをしている介護家族が11:00に母を施設に連れて行けるはずがない。施設側が迎えに来てくれるとしても共働きの家庭で11:00頃に在宅しているはずがないんです。それに、「15:00には連れて帰れ/施設側が送るから15:00には家族の誰かが在宅してろ」、と言われても無理な話です。こんな施設なら最初から誰も利用しません。本来、そうした家庭事情を考慮して提案されるのが6-8、4-6・・といった利用時間帯のはず。
☆:医療系の施設は偉い・と誰が決めたんだ?。
「高橋さん、医療系の介護施設は緊急面では頼もしい面はありますが、ビジネス上で言えば内容は汚いものです」、と言う人もいます。病院に入・通院する患者の中から新たな入通所候補者を次々に作り出す事ができますからね。それも意図的に・。だから医療系の介護施設はいつも定員一杯だと憶測したくもなります。
皆様のご利用の介護施設でもこのような事が頻繁にあるんでしょうか?。「我々がアンタの親の世話をしてやっているんだ」、と言わんばかりの介護施設がありますからね。
最近、ずっと地区ケアマネさんが私の家へやって来ていろいろと腐心してくれます。別な施設の相談員や管理者が私の話を聞いて驚いたり、「まァまァ」、と宥めてくれたり・・。
そんな私達の横で無心にメガネを拭いたり、ジッと耳を傾けては首を傾げたりしている母が哀れでなりません。
「ホラ、アンタはお客様にお茶も出さずに・」、と。「お前はどんなに怒っていても最後には必ずニコッと笑うんだけど・。お前がこんなに怒るのは珍しいよね」、と昨日の母・。鶴翔苑とはまだ・、揉めているんです。
☆2010年4月20日。
★:「ありゃ、この猫喋るよ」、と母が・。
母は犬派。7年目の昨年頃からようやく我家のチッチさんの背を撫でるようになったほど・・。実はこのチッチさんは17歳で人間年齢に換算すると母よりも高齢になるのかも知れません。
「お外に行くんだからドアを開けてっ。何度言ったら分かるの?/もう、寝なさいよ/今まで何してたの/寒いからカーペットに電気を入れてよ」、といろんな事を私には意図も自然に伝える事ができます。
見ているのかどうかは分かりませんがTVでは母の好きな時代劇が・・。そして、今日もチッチさんは洗濯物を畳む母の目の前で微妙な距離で母を観察していたかと思うと、突然に母が畳む衣類の上にワザと寝転がります。
そして、母を横目でジーッと・・。多分、「少し休んだらどう?」、とでも伝えたいかのような態度で母の前に寝転がるんです。猫って広げた新聞や畳む洗濯物の上に座ったり転んだりするのが好きですが、あれは気を引きたいんでしょうか?。
「えーい、もう。こら、アッチへ行きなさい」、と母。
丁度、その時、「ってやんでい!。アッチもコッチもあるもんかい。ふざけるんじゃないよ」、とTV画面の中の威勢のいい下町の娘が叫んだんです。
「れっ、ありゃりゃ?。この猫は喋るよっ!」、と母が・。
☆2010年4月21日。
★:医療系介護施設だから万全とは言えない。主治医の存在。
四年前の2006年の今頃の母は200年暮れの骨折で入院していた西日本病院を3月4日に退院し、この鶴翔苑での3ヶ月間のリハビリ入所を開始した頃。私はここで介護制度のある種の不器用な部分を目撃しました。
ある日の夕食を入所者の皆さんが一堂に会して摂った後、食後のデザートを食べていた時でした。皆さんの食事風景を見ていた私はあるAという女性が箸を手に持ったままユラユラと身体を揺らし始めたんですね。その様子が段々と激しくなり、左手を左顔面にあてて苦しそうに・・。咄嗟に異常に気づいた介護士さんが棟続きにある病院へと車椅子で運んだのですが、既に一般診療が終わった後。既に日勤医師は帰宅し、夜勤の医師が居たかどうかの時間でした。
3Fのリハビリ入所棟の消灯が21:00ですから私は母の就寝を確認した後に駐車場に向かったのが21:20頃。駐車場には救急車と救急隊員が・・。
「何かあったんですか?」、と聞けば、「夕食の最中に具合が悪くなったお年寄りが居るらしい」、と言う事でした。
「あァ、その女性なら私は目の前で目撃しましたよ」、と言えば、「えっ?、それは助かる。ちょっと、ついて来て欲しい」、と病院内へ・・。私はAさんが食事のテーブルに着いた瞬間からの様子の一部始終を説明した処、とても感謝されました。でも、既に夕食時からは相当な時間が経過していました。
実際の処、介護士さんが気づいたのはAさんがガクンと力なく椅子の背に凭れ掛かった後の事。それまでの挙動は説明できていない為、病院にいた夜勤の医師では診断が下されていなかったんです。
認知の入ったお年寄りって自身の体調の説明が曖昧ですからね。それに、正反対の事を答えたりしますよね。医師といえど診察が困難なケースがあるんでしょう。それに、このAさんは私が感じた限りでは呼吸困難を伴っていましたから、お医者さんは状況を知る事ができずに困っている様子でした。
入所者の食事が18:00開始ですから既に3時間を越えていましたが、このAさんはこの病院から主治医がいるはずの日本赤十字病院・熊本へ搬送されました。何と、病院から別な病院への緊急搬送ですが、これって完全な対処遅れですね。この利用者さんは亡くなってしまいましたが・・。家族が一連の経過を知れば裁判沙汰です。
★:入・通所者にとっては主治医をどの地区のどの病・医院にするかはとても重要。
前述したケースのように医療系の介護施設なら応急手当の後に主治医がいる病院へ転搬送する事が容易でしょうが、医療系でない介護施設経営者の場合、入通所者の健康管理、緊急時の搬送には普段から相当に気を遣っておられる事と思います。
★:医療系であれば脳外科系・循環器系が無難・。内科系であれば強い人脈を持つ医師・かなァ。
現在の医業というのは専門・分業化が進み、トータルしての総合診断ができる医師が少なくなっていますから介護家族としては自分の親が過去から現在までにどのような疾患を持っていて、どのような普段の生活を送っているかをいつでも医師や介護施設側に伝える事ができるように確たる心構えを持っていなくてはいけません。
「エート、・心臓が悪かったけど/何年か前のCT検査では脳に異常が・」、程度では親の健康は守れないと思います。
私の母の場合、心臓に肥大があり、60歳代の最大血圧が220の事があって以後は降圧剤を常用しての普段の生活、現在は血圧が135~157で時に168程度まで上昇。脈拍は平均66。体温は平均35,9~36.2度。
2005年2月に小脳に僅かな出血が見つかっています。それ以前には眼底出血で左目の手術。だから、左目は見えませんし耳も左側が殆ど聴こえていません。
お医者さんって患者の手術痕から過去の疾患。或いは骨折部位の発見などは上手なんですが目では見えない身体の内部だと機械に頼るしかないんですが、その検査で手遅れになる事が多いんです。それに、最近のお医者さんは触診をしません。家族が親の既往歴を憶えておくという事はとても大切なんです。
「うちの親の主治医?、えっ、えっ?、どこだっけ」、じゃいけません。
★:こんなケースも・。
2001年、私が野球の練習中に腰椎分離骨折で坪井にある山城整形外科に入院中、あるご老人が自宅で転倒して歩けなくなったという事で搬送されて来たのですが、古いレントゲンしかないこの整形外科病院は普段でも別な病院が所有する最新機種のCTやMRIなどに撮影依頼をしているほど・・。
このご老人が搬送されて来たのが22:00近くというのもあって、やむなくレントゲン撮影だけ・。結果、このご老人には骨折はないという診断で簡単なシップを貼って貰って帰宅したのですが、自宅では失神してしまいます。
再び日赤病院に搬送された結果、転倒した際に動脈に損傷を負っていて噴出す血液の様子がCTに写っていたんです。山城病院のレントゲン検査では見つけるい事ができなかったんです。このご老人は失血死の寸前だったとか・・。
その後、この方は山城整形外科に戻り責任を感じた山代院長の配慮で無償で入院加療する事になられたんですが、「酷いもんだよ。山城病院の看板には外科・内科・整形外科と書いてあるから搬送されたはずなのに・・」、と
☆2010年4月22日
★:政令指定都市指定欲しさ、助成金欲しさの特例下でのお情け市町村合併・・
我が熊本も特例で政令指定都市の資格を得ました。特例というのは「本来は人口70万人程度ではいけないんだが、今なら人口70万でも政令指定都市として認め助成金の対象都市としましょう」、という国の掛け声に沿ったものでした。要するに、「今なら期限付きインターネットし放題」、みたいなもんですね。
★:要は実態として市民の役にどこまで立つのか・、その実効性が今後は問われる
日本国総高齢化に伴う弊害というものが今後はいろんな面で予測できますね。私の一家が住む清水地区というのは従来だと熊本市の外れの静かな・、う場所に位置していたんですが、政令指定都市として4つの区に分轄された熊本市で言えばほぼド真ん中に位置するようになるんでしょうか?。
例えば、市役所の清水支部が自宅近くの八景水谷公園そばにあって非常に便利なんですが、これからは印鑑証明の一つを貰うにも昔住んでいた菊池郡西合志町須屋の先の先まで行く事になります。現在であれば車で4分で清水支所へ行けるのに、これからは45分くらい掛かるに西合志にまで行くことになるんです。
一方、75歳くらいで自動車免許の返還をさせる、というような運転免許の制度見直しが囁かれていて、「では、各種手続きの変更や申請には、「タクシーにでも乗っていけと言うの?」、という反論で世間が賑わう事になるでしょうね・。高齢化対策でもあるこの市町村合併は高齢化に逆行する面も多分にあるんです。
★:1歩進んで3歩後退みたいな・・
風潮が我が国の個性としてありますね。一体、先を見越すって何なのって言いたいです。市町村合併や道州制などには反対ではない私ですが、実態としてどこまでの変革性・実効性があるのか・です。
日本全国を工業化、情報社会化していくにはその方がいいのでしょう。それに役人や議員数の削減には繋がるのでしょうが、そんな事なら現在までだってそれぞれの地区でやれたはず・。
例えば、熊本には[轟(とどろき)水源]という有名な場所があって、この周辺地域に住む人々は100%の轟水を生活用水として使っているんですが、合併する事で熊本市から伸びてくる塩素入り水道水と混ざり合った轟水を飲む事になりますね。多分、まずくて驚き水となるでしょう。
それに、土地が高騰し、公道が延びてきて田畑が減少、汚れた空気に晒されて育つ野菜・、いろんな弊害も出てきます。電話の基本料金は下がるんでしょうね。プロパン屋さんは都市ガスに食われますね。
★:本来は既に終えていていい政策のはず
私が住む清水地区には自衛隊駐屯地があって、これが煩わしいですね。パタパタポンポン、ドカーンと空砲を撃って戦争に備えて仮想実戦訓練しているんですが、このパタパタポンポンは自動小銃でしょうか。それとドッカーンの大砲の空砲が大いに迷惑です。奴らがポンポン遊びを始める度に家がギシギシと揺れるんです。
あるとしてもミサイルと対ミサイルミサイルのボタン戦争、戦闘員の非搭乗戦闘機が主流になると言われる現在、このパタパタポンポン、ドッカーンの意味がどこにあるんでしょうね。ホフクゼンシンで陣地取り、そこをベースに敵を陥れる?。今時、映画のコンバットのような陣取り合戦が本当にあり得るんだろうか、と思います。私の家は自衛隊のソバ・、まるで紙芝居を見ているような訓練風景です。
私は中途半端な自衛隊組織は嫌いです。組織するなら頭の良さで編成された空海の軍隊と体格の良い忠実な陸上災害復興隊程度に種訳すべきですね。この自衛隊駐屯地が今後は熊本市のド真ん中に位置する事になるんですが、「ドッカ・イッテクレ」、と思っています。
★:陸上自衛隊を持つが故に外国からの派遣要請がある。
専守防衛に陸上部隊は不要かもです。陸上部隊を持っているから外国への派遣を要請されるんですね。災害復興部隊であれば戦争と直結しては語られないはず。だから、戦闘地域だろうが非戦闘地域だろうが堂々と向えばいいんです。
空と海は軍隊化、陸上部隊は災害復興部隊として消防組織の中に組込み、その組織の中に国際活動班みたいな組織を作ればいんじゃないかと素人ながら思います。まずは軍隊として国際的には主張すべきです。
★:今や:、
宇宙からの観察によって地上25~45cmの物体が何であるか、数字だって読めると言われる監視衛星の性能。この精度というものは、各国要人が乗った車のナンバーを読み取る能力の監視機能を・・、というのが開発動機の根拠だったそうです。つまり、地上25cmの数字が読み取れる精度らしいです。
★:誰も戦争を望むはずがない、・・が
米軍普天間基地が対中国、対北朝鮮といった多政党否定の1党独裁の共産主義国家への抑止力になっているのは事実。ただ、軍備による抑止力だけをいうのであれば我が国が軍隊を持つか核の5発程度を所有するしかないと思います。
政治家の皆さん、「要するに米軍に居て欲しいのか、出て行って欲しいのか」、という極論から国民との会話を始めて欲しい。必要であれば妥協。不必要であれば軍備を進めるしかありません
天使の囁きのような寝言は1党独裁の共産主義国家には通じません。北朝鮮にだって天使の囁きはあるんですよ。それを平気で独房に入れたり抹殺するするのが彼らの主義。中国の政策を見てご覧なさい。インフラ整備、高層住宅化の為とは言え、何の保障もせずに住民を強制的に立ち退かせたりして
国民を裏切っています。軍による1党独裁の恐怖です。
★:突飛なアイデアですが・
沖縄の方々全員を50年程度の期間の生活保障をした上で北海道に移住して頂き、沖縄を米国へ差し出す手もあるかも知れません。沖縄の方々だって防衛上でも経済効果の面でも米軍の存在価値はご存知のはず。分かった上で反対されているんです。
戦後の沖縄経済は米軍抜きでは語れないはず・・。例え、大村湾や徳之島に基地機能の一部を移設しても同じような問題が起きるのは必至なんですね。私は基地の町・佐世保に暮していて米軍基地の存在する心地よさを知っています。
何故、北海道か・。それは連合軍との闘いが終結するのを待っていたかのように旧ソ連軍が宣戦布告を行い北方列島を一方的に奪うという卑怯さを行なっているからです。その悔しさを忘れてはいけない。ある意味、沖縄の米軍基地は台湾、韓国をも護り、ロシア、北朝鮮からの脅威を抑えているんですね。沖縄から米軍が撤収するという事は周辺の共産主義諸国からの脅威に対する網を失う事になるんです。
★:日本人は平和ボケが身に染み付いてしまっている。[養殖人種]
戦争という事態は何もポンポンパタパタドッカ~ンという時代遅れの自衛隊の存在で回避できる訳ではありません。現に、経済戦争にだって敗戦の連続じゃないですか。過去の敗戦の上に現在の平和が成り立っている事を自覚すべきです。生産力が低下していく一方で金のバラマキ政策ばかりの我が日本の政治。イシコロみたいに金を扱っちゃいけません。もう、学歴では金を産まない日本になっているんです。これからは国民の個々が考えなきゃいけません。何かに頼ってばかりではいけないんです。
もう一度、国民が意図的にでも何かに耐える、望んで耐える暮らしを始めてみようじゃないですか?。我がニッポンの国民はいつの間にか[養殖人種]になってしまった気がしています。
★:武士道に於ける武器の携帯マナー。核保有の話。
武器である刀は左の腰に携え、いつでも右手で抜けるというのが作法です。武士社会に於けるこの作法を知らない方は剣道の作法を学べば簡単に理解できます。武家社会では左利きは幼い時期に右利きへと修正させられていました。
故に、殿中で歩く作法としては、腰から鞘のままで刀を外しては右手に持ち替え、左手ブラブラで歩く事が作法とされていました。左手で刀を持てば「こいつはいつでも刀を抜くぞ」、と判断されては瞬時に切り殺されても止むを得ませんでした。
私がここで何を言いたいかと言えば、核保有のことです。つまり、核を左手ではなく、右手に持ちながら対外交渉の場に出る勇気が我が国民には欲しいのです。
核は核を制します。この事は全ての日本国民が理解すること。左手に持つ核はいつでも使う意志を示す武器。ですが、右手に持つ核は保有するだけで使う意志の無い刀と同じ。核を抑制するのが核保有しかないというのなら、左手に核を持てばいいんです。政治家の皆さん、珠にはこのような発想を持ったらどうでしょう?。
☆2010年4月23日。
★:またもや・、母が嫌いな席替えが・・。
母が通う熊本市の鶴翔園ではまたまた席替えが・・。この席替えの度にご老人が叫び出すというのにこれまた一方的な席替え・。この席替えから今日で2週間・。最近は毎日のように母の座る席が変わります。
何度も書きますが、管理が楽だから/お年寄りの能力の変化で・、といろんな理由がつくのですが、この認知老人が多い介護施設での席替えには私は多いに反対です。
デイ施設・鶴翔園は「お年寄りに刺激を・」、とよく席替えをします。施設に言わせると、「認知防止」、だそうですが、私は、「戸惑いの連続が認知を進める。毎日に変化はつけて欲しくない」、と申し出ますがなかなか受入れて貰えません。
「折角、お隣の席の方と仲良くなれたのに・」、と言うお年寄りは多いものです。また、元の席に戻ろうとして何人の人が転倒するんだろうなァ、と思いますよ。
この鶴翔園近くの施設の[風の木苑]という施設の相談員にアドバイスを求めると、「認知改善の刺激目的での席替えはしてはいけない。理由は高橋さんの言われる通りです」、という事でしたが、介護研修会ではどのような指導があっているんでしょうね。認知改善の方法であれば他にも方法は沢山あるはずですが・。
★:老人と猫の関係を考えてみよう。
介護士の皆様、一般的にお年寄りは自分の隣で一定の距離を保って寝そべってばかりいる猫が大好きです。あれは何故だと思います?・・・。猫って目が合えば暫く見つめあった後・・、チョンと目を瞑っては安心のポーズをしてくれます。そして再び目を開けてはコッチをジーッと見つめてはまたシャキンと目を伏せます。
アレって本当は警戒のポーズなんですが、「この人は安心な人だ/この人のソバは心地よい」、と感じると鼻チョウチン作って眠りに着き、一旦、眠ったら足で蹴っても安心しきっているから目を覚ましませんね。
我が家ではチッチさんの前に飼っていたマイケル君なんか私が飲む日本酒の杯に尻向けてオシッコを掛けて、「酒はやめろ」、というくらいに図々しく慣れていました。人を信じる事ができる生き物は高等動物の証しなんですね。
認知老人にも似たような事が言えるんです!。もう、皮膚感覚、本能というものだけでしか生きられないご老人の環境を何故変えるんですか!。
「誰だかわからないが折角お友達になった人が姿を消したよ/明日は私はあの人を探しにいくよ/あの人は転校(施設を変えた)したの?/まさか、亡くなったんじゃないよね?」、と母はデイに通う朝になると毎日のように言います・・。きっと、席替えが寂しいんだと思いますね。
介護士の皆さん、「老人に与える寂しさ・悲しさも刺激の一つだ」、と言い切れるならとアンタは介護士を辞めたがいいよ。それとも、昔、俺がやったように山に篭って3ヶ月近くもの間さ、クシャミとアクビ以外に声を出さない暮らしをやってみろよ。辛いもんですよ。
★:与えるなら記憶に残さぬ感動を与えよう。その感動の連続こそが記憶。
勿論、お年寄りは汽車の車窓というフレームに次々と飛び込んでくる旅の風景も大好きです。でも、この風景・光景は憶える必要がないから。「あァ、綺麗・・、あっ、この景色も綺麗・・」、と一瞬一瞬を楽しめればいい感動なんです。
それに、このケースでは自然風景という対象物が動き変化している訳であって、お年寄り自身が動き回っている訳ではありません。次々とご老人に移動を強いては生活動線を覚えさせる事ができなくて、「ここはどこ?/トイレはどこ?/アナタは誰?/私はここで何をしているの?」、とそんな戸惑いばかりがあって・・。
席替え・、こんなものが認知防止になるとは私は思わない。母の通うこの施設・、何だか私の中では一気に信頼が薄れていく出来事が続くようになりました。
☆2010年4月24日。
★:国の許・認可に関わる事業の話を・。
国の定めた制度の中での事業には[許可事業]と[認可事業]とがあり、許可事業とは本来は行なってはいけない事業(行為)だが然るべき審査を受けた後に国の許可の下にこれを行なう事ができるとされた事業で身近な例が医師が行なう医療行為です。
しかし、介護事業は認可制の為に比較的容易に開業できます。つまり、資質ではなく、要件さえ満たせば誰にでも起業ができるんです。要は、組織を構成するスタッフの中に資質・要件を満たした者が一定数居ればいいんです。
例えば、車の運転なんて要領さえ分かれば誰にでもできる・・、故に、決まり事さえ守れば運転を容認しよう。[免許:許可を免じる]という資格ですね。これに対して例えば、[(有料)職業紹介業]という資格がありますが、これは人間の一生に関わる大切な職業の橋渡し役だという解釈で国の許可制。
この制度は最近では有名無実になった感がある資格ですが、本来は職業安定所が行なう行為ですが役立たずの問題役人ばかりで非常に稼働率が低く、その為に民間の特定の者にその役を依頼している訳ですね。情報の停滞が原則の役所仕事より、民間の情報収集力の有無の違いです。
★:労働者派遣業
不透明な議員献金問題、分裂気味の自民党問題、米軍基地問題ですっかり影を潜めてしまった感があって、もっと大きな話題になっていいはずの派遣業問題ですが、これには特定派遣業、一般派遣業という2つの形態があります。
★:特定労働者派遣業とは
登録した段階で派遣会社の正社員なんですね。だから某派遣会社の社員として某就労先である企業へ労働力の提供を行なう訳です。派遣社員なんですが正社員なんです。この派遣形態がしっかりと確立され雇用関係の上で実施されるだろうという事で県知事への届出制となっています。つまり、就労先企業から突然の解雇を受けても派遣会社から保障を受ける事ができます。
★:対して、一般労働者派遣業とは
登録した段階では単なる期限付き登録社員。やはり、某派遣会社の社員として某就労先である起業へ
労働力の提供を行なう訳です。某派遣会社の登録社員という身分です。これは、曖昧な雇用状態が懸念されるという事で厚生労働大臣が許可を厳しく担当します。この場合、就労先企業から解雇通告を受けても派遣会社と交わした登録労働期間だけの保障しか受ける事ができません。
★:その相違点は大きい
一見して大した相違点はないようですが大有りなんですね。特定労働者派遣業の中での特定労働者と言うのは就労先で期限内解雇に遭って失業しても何の心配もありません。本来の雇用主は某特定労働者派遣業者側ですから給料保証はあるんですね。
対して、一般労働者派遣社員の形で就労していた人が就労先で中途解雇にあった場合、雇用主である派遣業者からの給料保証はあるのですが、登録期間を過ぎてしまえばチョンなんです。
そして、今回はこの2つの派遣形態の違いが大きく語られる事無く報じられているんですが、私はこの事を以って日本という国への不信感を強くしています。
★:労働者側が自らの立場を理解せずに登録しているケースが多い・・。
永年雇用・終身雇用を謳った日本型経営の時代は終わったんです。戦後から一環して続いてきた国立型企業は鉄道から塩・タバコ・米、教育に至るまで専業制度が崩れ去っていますね。モノの流通形態がこれ程までに変革している時代にヒトの雇用形態が変わらないはずがない、と思うべきです。
現在の派遣型採用・勤務形態は従来とは違った形で将来的には再び三度と問題点が出てくる事と思います。何故なら、今は個別に語られている年金や保険問題とは深い関わりがあるからです。
働く場所があって働く人が居てこその年金・保険問題。その前に我が日本という国が世界から取り残される事無く存在できるのか・・、という事ですね。
★:年金も保険制度も必ずや似たような問題に突き当たる
政治家が企業を優遇して育成しようとするのはその為なんです。もう、国の政策として個々の国民から徴収、納税をする・させるというシステムには限界が来ていて、その役割を企業に持たせようとしているんですね。
国民には何らかの仕事を与え、企業に吸い込ませる事によって企業に個々の国民を管理させ、働かせる事によってトータルしての国への納付金という形で国に集結させるシステムを構築したいんです。多分、そのシステムの方が効率は高いはずですが、問題は企業力、つまりは日本という国家が僅かづつでも成長し得るか否か・・なんですね。或いは、国民が脱贅沢・脱欲できるかが課題なんです。
☆2010年4月25日。
★:食べる幸せ&その様子を見る幸せ・・。そして、今の私を支えている古き傷痕。
今日、吉幾三さんをゲストに迎えた旅行モノのNHK番組を偶然に見ました。デイ帰りの母も何となく見ていましたね。吉さんの人柄がとてもよく出された番組になっていて・なんかジーンと来るシーンが多かったのは吉幾三という人の人柄故なんだろうなァ、と感心させられました。
彼がラーメンを食べるシーンを母と見ていると、「ホホン、・・おいし・そうね」、と母。
「ホホ、そうね」、と私。
「私は・ラーメンとか随分食べてない・・」、と母。
「食べとるじゃないね。我家は毎週のように日曜日のお昼はうどん、ソーメン、ラーメンじゃないか。それも、チキンの皮や馬肉や牛にカツオに昆布のダシが利いた手作りのいろんな味の麺類を食べているじゃないか」、と私。
「私が食べとるってね。へェ~」、と母が、「そりゃ初耳よって」、な顔をします。
「何言ってんだか・。この子不幸親が」、と私。
「ホホ、美味しそうね」、と再び母が・。
「あんたは美味しそう・食べたい、美味しそう・食べたい・だけが感想かい。食べている人が幸せそうだね・とかは思わんの?」、と私。
「アンタこそ何を・・。食べ物なんて自分が食べてこそさ。人が美味しいモノを食べているのを見ていて良かったね、幸せですね・なんて誰が思うかい」、と母。
「思うさ!。何も自分も一緒に食べたい・と思わんでも、人が美味しそうに食べているのを見ていると自分まで幸せな気分にはなれんの?」、と私。
「なれん&なれん。アンタこそどうしてそういう風にしか考えきれんの?。そういう風だと出世なんかできんとよ」、と母。
「俺は小さい時に腹切ってからは食べる事には我慢我慢で生きてきたから仕方ないじゃないか」、と私。
「へーっ、アンタは腹切ったとね。どうあったと?」。と母。
「これさ。俺のこの傷を憶えちゃおらんね」、と私はミゾオチから臍を避けて一気に股間のすぐ上にまで及んでいる手術痕を見せると母は、「・?・・?、あっ、これは・・」、と母は驚いた様子・・。
「あれっ、アンタは直裕だよね。イサムさんじゃなかったとね。そうそう、アンタはナオヒロだ」、と母が・・。
長い間、母と私が苦しみ続けた私の身体に残る傷。でも、その傷痕のそばには母の知らない刺し傷痕も・。
更には夏でも長袖シャツで隠している腕を捲れば別な傷痕も・、ハイネックシャツを捲れば、首にも深い切り傷が・・。
吉幾三さんが美味しそうに食べているラーメンが呼び込んだ今日の親子の会話でした。
私が書き、作る[母に生命を返す時]というCD集。実は、幼い頃の手術の最中に聴こえ続けた母の叫び声が原点になっているんです。
「直裕っ、直裕。死んじゃいけない。生きておくれ。ナオヒロ、ナオヒロ」、という母の叫び声・。
多分、母は今でも叫んでいるんだと思っています。「直裕、助けておくれ。私を護っておくれ」、と・・。
☆:2010年4月26日。
★:ヒト・モノ・情報の流れがこれ程に変わり始めたのに
一向に変わらないものがありますね。それは巨大な組織である県庁・市役所・村役場に至るまでの事務系職員の数です。要するに事務系公務員の数が問題だと思っています。私は職業上、こうした方々とお話をする機会が非常に多いのですが、一つの事がなかなか決まらない・・。「これで決まりですね?」、「あ、否。午後から上司がやってきて判断しますから待って下さい」、と・。
現場では朝の9:00から係長以下総勢8名が打合せを行い、99%が決まりかけているのに、「上司が最終判断を」、と。そして、その上司はと言えば今は県庁で昼メシの最中だと・・。
「急がせて下さいよ。何、考えているんですか」、と言えば、「否、自分から上司にそんな事は言えない」、と。
簡単に言えば一つの事を決めるのに8人もの人間が同意しているのに上司である9人目の賛成がないと物事が決まらない世界が役人の世界なんですね。これは、決して大袈裟ではなく実態としての公務の世界なんです。
いっその事、全国の県庁・市役所には商工業の専門家、会計事務所系の民間会社を入居させ運営させてはどうだろうかと思います。欧米では一般的に現場企業の方の採用試験のレベルが難しく、そこで落ちた者達が事務方の公務員になると聞いています。つまり、一番レベルの低い者が公務員の職にあるとか・・。
国としての歴史の違いでしょうね。
我が国は歴史上から皇族や僧侶達が戦乱の中で一定以上の役目を果たし過ぎた、という過去があるからではないでしょうか・・。こうした過去が我が国でつまらなく叫ばれる戦争責任を作り出しているんです。
天皇の指示ではなく、天皇の名の下で戦争が行なわれた為、このような戦争責任という言葉が宙を舞ってしまうんですね。あの悪名高い独裁者ヒットラーでさえも自己責任で戦争を展開したはず。私達日本人は体質として自己責任であるはずのものを周囲に擦り付ける習性を持っているんでしょうね。
★:戦争・
戦後生まれの私には戦争責任を安易に語る資格も勇気もありません。ただ、言える事は他国への大いなる迷惑を与えた事は事実ですが、この戦争というものは絹織物から工業技術において、我が国民の作り出すモノの質の高さを世界に示す事がきたのではないかと思っています。世界に冠たるゼロ式戦闘機、それに戦艦ヤマト・・。戦後はナイロンにレーヨンも・・、ビニロンもそうでしょうか。
戦後の我が日本は常に工業化学技術系の世界ではトップを走り続け、これまでの私達の暮らしがあったんだと思っています。本来、ニホンジンは勤勉で強いはずなんです。
★:周囲を海に囲まれ・、
隔絶された島国だった事がいろんな意味で我が国独自の技術を生み出す土壌になったんだと思います。そう思えば、飛び交う情報というものに背を向ける事も必要ですね。情報過多の現代社会では人の心から落ち着きをなくし焦りばかりを助長させ、何かに集中して作り出す、という事が困難になりつつある気がします。
☆2010年4月27日
★:領収書について
今日は車の燃料ならぬ私のガスリン(酒)を買いにいつものコスモスへ・。ここで面白い・というか、暮らしの逼迫した自営業者の悲哀を目撃しました。
「ありがとうございました。はい、お釣りとレシートです」、という女性店員に対し、「否、これじゃないフォームの領収書が欲しいんですが」、というその自営業者さん。
対して、「これでも立派な領収書ですが」、と店員さんは言うのですが、「否、これだと税理士さんが『都合が悪い』と言うんだよ」、とその客。プクプクッとレジの彼女が膨れ始めます。
私は自営業者さんが言う理屈が分かるから、「ホラ、以前に俺も同じことを頼んだ事があるが、アンタは何もしてくれんだったじゃないか」、と言うとその女性店員はますますフクレて涙目で私を睨むんです・・。
そこで、「確かにレシ-トにも領収書と書いてあるけど、これだとコンニャク、モヤシ、パブロン、両面接着テープ・・、と明細が書いてあって、零細の商売人には困る事の方が多いんだよ」、「要は、両面接着テープは別にして欲しいんだよ」、と言うのですが、彼女はプクプクプックン&プクプップンと膨れる一方・・。
「そうなんだよ。薬代金や事務用品は事業経費で認められ易くて食料品などは経費では認められない・から頼んでいるのさ」、と私の前に居る客が言うと、レジの彼女は暫く考え込んでいます・。
「オイ、分からん時には上司に報告・連絡・相談のホウレンソウさ」、と私が言うと、「えっ?、ナニナニナニッ&何ソレミファド」、と最近流行のギャル言葉・オエっ・。
結局、時間を食ったんですが、購入商品の明細が書かれていない領収書は売り場主任によって発行されたんです。
コスモスというドラッグストアには薬から野菜、卵、酒に味噌・醤油、化粧品に下着・・、とありとあらゆる商品が売られていて、こうしたお店の場合には領収書の発行の仕方には気を遣って欲しいと思います。
因みに、私は4Lで¥1999のウイスキーとモヤシに大好きなコンニャク。それにメッシュの半袖シャツを買ったんですが面倒臭いから領収書は貰いませんでした。実は、こうした時勢だからこそこうしたサービスを義務化・常態化し、「あのお店は利用し易い」、と思わせる事が売上げを伸ばす事に繋がるんのではないかと思うんですが・。
Posted by 濱野裕生 at 21:52│Comments(0)
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