2020年12月21日
同居記録:05
同居記録:05
実家で芋虫のように転がったままの母・、
熊本から佐世保の実家へ着いた際に見た母の姿・。それは目を疑うほどに哀れな姿でした。僅かに漂う便臭があり、母は右腕を下にして横たわっていました。「母ちゃん、帰ったよ」、「あれ、裕生?。アンタは裕生ね?」、「うん、そうよ」、・と。短い会話でしたが涙脆い私の声は・。しかし、怒りと失意に振るえ何ともし難い感情が私の全身を走ります。突然、「裕生、オシッコ」、「私を抱えておくれ」と母。
私は母を抱き抱えてトイレへ。 実は我が実家は元々が和便器だったのですが、数年前に帰省した際に私の得意な木工で洋式の便座に改装し、当時の母からはとても喜ばれたことを記憶しています。
そうであっても、兎に角は立てない母だから幼子にオシッコをさせる体勢で便座に座らせてオシッコをさせますが、オシッコが終わるや否や大量の便が出ました。その間を縫って小走りに風呂場へ走り、数枚の濡れタオルを作って母の元へ・。排便が終わった母に「母ちゃん、前は自分で拭いてくれ」と紙を渡し、「俺はお尻を拭くからね」と、母には返事もさせぬ間合いでサッサとお尻をタオルで拭き、新しい下着とズボンに穿き替えさせながら心に誓うものがありました。「絶対にお袋をもう一度歩いて貰う」と。「アンタは人の世話が巧いもんだね」と・。 「その為に帰ってきたんじゃないか」と言えば、「昨日も一昨日もおったじゃないと?」、と母・。
改めて室内を見渡すと、
横たわる母の傍には車で10分ほどの距離に住む前述の兄嫁が作って置いて帰ったと思われる一日分の料理とご飯が入った炊飯器。それに湯が入ったポットに茶の葉が入った缶と幾つかの茶碗類が・。でも、母は起き上がることさえできず、炬燵に手をつく事さえ出来ず、湯飲みにさえ手を伸ばす事が出来ない状態で数時間は放置されていたようでした。「姉もドライだなァ」と思ったものです。こんな状態になった母を独居させると決意して実家に放置して長崎へ帰ったのか?、という驚きです。
私の作った肉ジャガをお代わりする母・。
「母ちゃん、あっちこっちが痛いと感じるのは生きとる証拠」、「生きているからこそ感じる痛みや感謝さ」と言えば、母は「・そうね」と。支えれば立てるし、立っても支えがなければ崩れ落ちるように倒れるようでした。この日、夕食にと作った肉ジャガをお代わりした母。炬燵の上に右腕を辛うじて乗せた後は手首だけを動かしてスプーンで起用に食べる母。箸を使うのは無理なようでした。実は、我が母はジャガイモは苦手なはずでした。
実家で芋虫のように転がったままの母・、
熊本から佐世保の実家へ着いた際に見た母の姿・。それは目を疑うほどに哀れな姿でした。僅かに漂う便臭があり、母は右腕を下にして横たわっていました。「母ちゃん、帰ったよ」、「あれ、裕生?。アンタは裕生ね?」、「うん、そうよ」、・と。短い会話でしたが涙脆い私の声は・。しかし、怒りと失意に振るえ何ともし難い感情が私の全身を走ります。突然、「裕生、オシッコ」、「私を抱えておくれ」と母。
私は母を抱き抱えてトイレへ。 実は我が実家は元々が和便器だったのですが、数年前に帰省した際に私の得意な木工で洋式の便座に改装し、当時の母からはとても喜ばれたことを記憶しています。
そうであっても、兎に角は立てない母だから幼子にオシッコをさせる体勢で便座に座らせてオシッコをさせますが、オシッコが終わるや否や大量の便が出ました。その間を縫って小走りに風呂場へ走り、数枚の濡れタオルを作って母の元へ・。排便が終わった母に「母ちゃん、前は自分で拭いてくれ」と紙を渡し、「俺はお尻を拭くからね」と、母には返事もさせぬ間合いでサッサとお尻をタオルで拭き、新しい下着とズボンに穿き替えさせながら心に誓うものがありました。「絶対にお袋をもう一度歩いて貰う」と。「アンタは人の世話が巧いもんだね」と・。 「その為に帰ってきたんじゃないか」と言えば、「昨日も一昨日もおったじゃないと?」、と母・。
改めて室内を見渡すと、
横たわる母の傍には車で10分ほどの距離に住む前述の兄嫁が作って置いて帰ったと思われる一日分の料理とご飯が入った炊飯器。それに湯が入ったポットに茶の葉が入った缶と幾つかの茶碗類が・。でも、母は起き上がることさえできず、炬燵に手をつく事さえ出来ず、湯飲みにさえ手を伸ばす事が出来ない状態で数時間は放置されていたようでした。「姉もドライだなァ」と思ったものです。こんな状態になった母を独居させると決意して実家に放置して長崎へ帰ったのか?、という驚きです。
私の作った肉ジャガをお代わりする母・。
「母ちゃん、あっちこっちが痛いと感じるのは生きとる証拠」、「生きているからこそ感じる痛みや感謝さ」と言えば、母は「・そうね」と。支えれば立てるし、立っても支えがなければ崩れ落ちるように倒れるようでした。この日、夕食にと作った肉ジャガをお代わりした母。炬燵の上に右腕を辛うじて乗せた後は手首だけを動かしてスプーンで起用に食べる母。箸を使うのは無理なようでした。実は、我が母はジャガイモは苦手なはずでした。
Posted by 濱野裕生 at 15:11│Comments(0)
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