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濱野裕生
濱野裕生

2021年02月02日

6月18日の記事

〇2009年1月5日

〇.昨年暮れの転倒の影響

 今日は母の新年のデイ始め。昨年(2008年)暮れの転倒で右手首手前の骨折があったとは言え、兎も角は新しい年を迎えることができました。しかし、今年ばかりは一通の年賀状も書けず、これは嫁も私も始めてのことでした。決して、言い訳ではなく、そんな時間がどこにある?、といった感じでした。
 不衛生な話ですが、新年というのに私がこの四日間でお風呂に入っって寝床に就いたのは2回。それに入浴しても湯船には3分ほどつかるだけで石鹸で身体を洗うなど出来ませんでした。 更に言えば、この3年ほどは上下が揃ったパジャマを着て寝たことすらありません。特に、母の転倒があった昨年末からはジーンズにTシャツ姿で寝るのが基本。少しでも睡眠時間を確保しようと思えばこうなりますね。この格好で寝ていれば出勤時の朝の着替えの時間が省けます。考えたくはありませんが、この格好で寝ていてこそ、母の突然の事故や脳梗塞、心筋梗塞などの非常時に対して敏速に行動できるんだと考えました。 この生活の変化のすべてが昨年末の母の骨折が切っ掛けになりました。

 まず、母の転倒によって母の日常が更に複雑になりました。顔を洗う、デイ用に着替える、ご飯を食べる、母の骨折部が右腕なだけに、その母の行為のすべてに対する周辺介助、動作介助が必要になりました。

 デイでも相当に介護士さんの手を煩わせているんじゃないかと思います。母の場合、フッと何かを思いつくと直ぐに立とうとしたり、使ってはいけない右手でテーブルを抑えようとしますからね。だから、デイではそれまでの席から介護士さん達に距離が近い席に変更してもらっています。

〇ミネ子さーん

 最近の母の元へは江迎時代の砂田ミネ子さんがやって来ているようです。「裕生、ミネ子さんが来ているのに、テーブルにはミネ子さんの分の食事がないじゃないね!」、と私を怒ります。「ミネ子さんは居ませんよ」、と嫁が言えば、「貴女は黙っときなさい!」、と・。もう、母は自分がそうだこうだと決め付けたら周囲の意見は頑として聞かず、「ご飯を出せ」と怒り、母の部屋に向かって「ミネ子さーん、ご飯ですよーっ」、と叫んでいます。 「さっきまで私はミネ子さんと部屋で話していたんだから」、「居ないはずはない、早くミネ子さんを呼んできなさい」、と母が嫁に・。

 私は「だったら自分の目で確かめてみろ」、と私は車椅子を押して母の部屋へ行き、誰も居ないことを母に確認させるのですが、居間に戻っても「居ない筈がない、きっとベッドの下に隠れているんだ」、と。

 「食事の時間にカクレンボをする訳ないし、隠れる理由はないでしょう?」、と嫁が言えば、「あんたは黙っときなさい」、と母は益々エスカレートします。

 こんな時の母には現実と過去とが混在していて、現実を理解しながら認知の世界にも出入しているんだと思います。私のことを勇兄さんではなく我が子と理解し、その嫁さえ理解しながら、この熊本に地に遠い日の親友のミネ子さんが訪ねてきていると・・。 
しかし、現実にはミネ子さんは佐賀市内の老人ホームのはがくれ荘という施設に入所されていて、結局、その佐賀のミネ子さんに遠路の電話を掛け、母はミネ子さんと会話をすることで納得をしました。「ありゃりゃ、私の勘違いだったね」、と。。2009年と当初の母の初ボケでした。今年も前途多難な船出だホイ・。

Posted by 濱野裕生 at 16:27│Comments(0)
 
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