2022年06月16日
○落とし紙
◎2022.6.16
○落とし紙
母の存命中、我が家のトイレには主流のロール紙のトイレットペーパーの下に母専用の落とし紙を置いていました。落とし紙って分かりますか?。A4版ほどの長方形をした比較的硬めのトイレ用紙で、お尻を拭く紙です。
遠い昔の我が国のトイレというものは汲取り式で便器の下には家族人数に応じたサイズの便壷があって、そこへ大小の便が一旦は溜められ、満タンになったら業者さんが汲取りにきていました。 或いは、まだ化学肥料というものが少なかった頃の農家さんが汲取りを引き受けてくれては自分の農地へ撒いてくれ、いわゆる有機の肥料として米や芋、野菜等の作物を作っていたわけです。平成、令和育ちの者には理解できないことでしょうが、私が生まれた頃はすべての家庭には水洗トイレなんてありませんでした。
母の祖父は濱野冶八という北松浦郡から佐賀や唐津~福岡方面へ延びる炭脈を開発する鹿町炭鉱の総帥であり、当時の我が国の石炭総生産量の約2%を出炭し、母の父は平戸藩の槍持ちの家系で生まれ、当時は濱野冶八を筆頭とする炭鉱の系列の平田山炭鉱を任され、当然のように母の一家のその暮らしは非常に裕福ではありましたが、その家さえも汲取り式便所だったようですから熊本へ来てからの母は熊本の我が家のロール式のトイレットペーパーを使うのが非常に苦手なようでした。
いつも母は私の家でトイレを使う度に「裕生、これっ、ここっ。これはどうにかならんもんかね」、と。 私がトイレを覘けば、母は猫パンチで遊んでいるようにロール紙をガシガシクルクルと爪で必死に掻き回し、既に2mくらいのロール紙が母の足元や床に散らかっています。。
これが切っ掛けでその後の我が家のトイレにはロール紙と落とし紙の両方を備えるようになり、2014年に母が没した後の我が家は現在でもロール紙と落とし紙の双方があって、私達夫婦は上手に使い分けています。この落とし紙ってロール紙とは違って溶けるのが遅く、トイレ洗剤や消毒液を含ませて便器やその周辺を拭くのにはとても便利です。まァ、老いた母が 我が家に残してくれた昭和の名残ですね。
○温水洗浄便座
母と私達夫婦が一緒に暮らしていた熊本市北区の自宅は2016年の熊本地震によって崩壊。その後は東区の仮設アパートで難民として2年間を暮らす一方、この間に国の助成制度を利用し、郡部に積水ハウスの立派な代替え住宅としての中古物件を見つけることができました。構造躯体が軽量鉄骨で作られた頑丈な家です。 しかし、仕事の契約先が熊本市内にある為、この郡部に見つけた家からの通勤には無理があって、私は熊本市東区のアパートを仮設住宅として使わせて貰った後も自前で家賃を払って住み続け、現在に至っています。今流行の二拠点生活です。
このアパートのトイレは温座式の水洗ですが、シャワーボタンを押せばお湯が吐出してお尻を洗ってくれる洗浄タイプではなく、先述したようにロール紙か落とし紙で自ら事後のお尻を拭かなければいけないタイプです。 アパートにあるこのタイプの便器で慣れている私が、週の後半になると郡部の代替え住宅へ向かって二日間を過ごすのですが、物覚えの悪い私はこの家でハプニングをよく起こすんです。
ウンチをしている最中、ロール紙をクルクルと手で巻き取り、温水で綺麗に洗浄した後のお尻を拭く動作に備えるのですが、ウンチが終っったら傍の壁にある温水吐出ボタンを押すのを忘れて立ち上がり掛けてはロール紙を持つ私の手はお尻へ直行。。 「あれっ、お湯でお尻を洗わず、俺は何処を拭いてんだ?」、と。 「アハハ、お前も私と変わらないね」、とお袋が笑っている気がします。
○この郡部の家での生活
敷地の隣の区画は既に放棄地の形で広大な面積の畑が広がっていたんですが、我が家の正面の畑は一昨年頃から近所の方が借りて耕作をされ、♪大根、にんじん、キャベツに白菜。玉ねぎ、オクラに葱にエンドウ。トマトにきゅうりじゃ物足りず。はたまた♪レタスにウドにチンゲン。なすびカライモ、おジャガにかぼちゃ(4拍子でもう一度リズミックに読んでください)、と四季折々の野菜や根菜類を作っておられ、「裕生さーん、いいのが出来たよ」、と我が家へ自慢げに持ってきてくれます。
我が家はと言えば、・・自宅右隣の約70坪の畑を村上という方から年間ロハで借りていますが、週間に二日間しか居ない為になかなか水遣りができず、ジャガイモ、唐芋、サトイモなどの根菜類は辛うじて育ちますが、野菜類は何を植えても水不足で育ちません。 でも、この6月はミニトマト、ピーマン、ツルありインゲン、オクラ、ナスは結構な収穫ができていて、サラダや煮つけ、味噌汁の具にと役に立っています。 しかし、元々が畑だっただけに2年半前に植え付けていたイチジクやプラム、ヤマモモの木類は太さがないものの2m近い高さに成長し、現在は幾つかの果物を実らせ始めていて、やがては食することができる気がしまが、来年は手作りで棚を作ってキウイを這わせ育ててみようと思っています。
○落とし紙
母の存命中、我が家のトイレには主流のロール紙のトイレットペーパーの下に母専用の落とし紙を置いていました。落とし紙って分かりますか?。A4版ほどの長方形をした比較的硬めのトイレ用紙で、お尻を拭く紙です。
遠い昔の我が国のトイレというものは汲取り式で便器の下には家族人数に応じたサイズの便壷があって、そこへ大小の便が一旦は溜められ、満タンになったら業者さんが汲取りにきていました。 或いは、まだ化学肥料というものが少なかった頃の農家さんが汲取りを引き受けてくれては自分の農地へ撒いてくれ、いわゆる有機の肥料として米や芋、野菜等の作物を作っていたわけです。平成、令和育ちの者には理解できないことでしょうが、私が生まれた頃はすべての家庭には水洗トイレなんてありませんでした。
母の祖父は濱野冶八という北松浦郡から佐賀や唐津~福岡方面へ延びる炭脈を開発する鹿町炭鉱の総帥であり、当時の我が国の石炭総生産量の約2%を出炭し、母の父は平戸藩の槍持ちの家系で生まれ、当時は濱野冶八を筆頭とする炭鉱の系列の平田山炭鉱を任され、当然のように母の一家のその暮らしは非常に裕福ではありましたが、その家さえも汲取り式便所だったようですから熊本へ来てからの母は熊本の我が家のロール式のトイレットペーパーを使うのが非常に苦手なようでした。
いつも母は私の家でトイレを使う度に「裕生、これっ、ここっ。これはどうにかならんもんかね」、と。 私がトイレを覘けば、母は猫パンチで遊んでいるようにロール紙をガシガシクルクルと爪で必死に掻き回し、既に2mくらいのロール紙が母の足元や床に散らかっています。。
これが切っ掛けでその後の我が家のトイレにはロール紙と落とし紙の両方を備えるようになり、2014年に母が没した後の我が家は現在でもロール紙と落とし紙の双方があって、私達夫婦は上手に使い分けています。この落とし紙ってロール紙とは違って溶けるのが遅く、トイレ洗剤や消毒液を含ませて便器やその周辺を拭くのにはとても便利です。まァ、老いた母が 我が家に残してくれた昭和の名残ですね。
○温水洗浄便座
母と私達夫婦が一緒に暮らしていた熊本市北区の自宅は2016年の熊本地震によって崩壊。その後は東区の仮設アパートで難民として2年間を暮らす一方、この間に国の助成制度を利用し、郡部に積水ハウスの立派な代替え住宅としての中古物件を見つけることができました。構造躯体が軽量鉄骨で作られた頑丈な家です。 しかし、仕事の契約先が熊本市内にある為、この郡部に見つけた家からの通勤には無理があって、私は熊本市東区のアパートを仮設住宅として使わせて貰った後も自前で家賃を払って住み続け、現在に至っています。今流行の二拠点生活です。
このアパートのトイレは温座式の水洗ですが、シャワーボタンを押せばお湯が吐出してお尻を洗ってくれる洗浄タイプではなく、先述したようにロール紙か落とし紙で自ら事後のお尻を拭かなければいけないタイプです。 アパートにあるこのタイプの便器で慣れている私が、週の後半になると郡部の代替え住宅へ向かって二日間を過ごすのですが、物覚えの悪い私はこの家でハプニングをよく起こすんです。
ウンチをしている最中、ロール紙をクルクルと手で巻き取り、温水で綺麗に洗浄した後のお尻を拭く動作に備えるのですが、ウンチが終っったら傍の壁にある温水吐出ボタンを押すのを忘れて立ち上がり掛けてはロール紙を持つ私の手はお尻へ直行。。 「あれっ、お湯でお尻を洗わず、俺は何処を拭いてんだ?」、と。 「アハハ、お前も私と変わらないね」、とお袋が笑っている気がします。
○この郡部の家での生活
敷地の隣の区画は既に放棄地の形で広大な面積の畑が広がっていたんですが、我が家の正面の畑は一昨年頃から近所の方が借りて耕作をされ、♪大根、にんじん、キャベツに白菜。玉ねぎ、オクラに葱にエンドウ。トマトにきゅうりじゃ物足りず。はたまた♪レタスにウドにチンゲン。なすびカライモ、おジャガにかぼちゃ(4拍子でもう一度リズミックに読んでください)、と四季折々の野菜や根菜類を作っておられ、「裕生さーん、いいのが出来たよ」、と我が家へ自慢げに持ってきてくれます。
我が家はと言えば、・・自宅右隣の約70坪の畑を村上という方から年間ロハで借りていますが、週間に二日間しか居ない為になかなか水遣りができず、ジャガイモ、唐芋、サトイモなどの根菜類は辛うじて育ちますが、野菜類は何を植えても水不足で育ちません。 でも、この6月はミニトマト、ピーマン、ツルありインゲン、オクラ、ナスは結構な収穫ができていて、サラダや煮つけ、味噌汁の具にと役に立っています。 しかし、元々が畑だっただけに2年半前に植え付けていたイチジクやプラム、ヤマモモの木類は太さがないものの2m近い高さに成長し、現在は幾つかの果物を実らせ始めていて、やがては食することができる気がしまが、来年は手作りで棚を作ってキウイを這わせ育ててみようと思っています。
Posted by 濱野裕生 at 16:10│Comments(0)
│☆母没後の呟き