2021年01月04日
〇.独り言:17
〇.独り言:17
☆認知の初期は不安感や怒り、沈黙。
母の認知は60歳代半ばから始まっていた気がします。厳しい話になりますが、若い頃の姉は証券会社に勤めていて、世間の例に漏れずに友人や実家への投資の勧誘をしていたようで、既に独居中の母は戦後の混乱期から買い求めていた電力株を姉に委ねた事がありました。
しかし、母には心のどこかに不安や怒りがあったのでしょう、その後の約2年間に渡って、「株券がない、どこに置いたんだろう」、「・・そう言えば、紘子が来て株券の話をしていた。紘子が持って帰ったのだろうか。そんな事をする子じゃない・・」、と熊本の私に毎晩のように電話をかけてきた時期があり、私が留守の時でさえ留守番電話に向かって喋り続けていたものです。当時の母にとっては余程の心配事だったのだと思います。
私が株券が母の元から離れた経緯を説明すれば、「そうだったのかい。紘子もいろいろと考えてくれているんだね」、と納得するのですが、翌日になると、「株券が・・」、と再び騒ぎ出すのです。無理もありません。母にとっては普通ではない日常になってしまっているのです。 戦後の混乱期に電力株を買い求めた者には特別な高配当をなされた時期があって、その後も特別株主として一般売出し価格よりも安く買えるという優遇された株券だったからでした。
この母の、「らしくない行動」は他にもあります。私と二人で行った父の墓参の帰りに肉を買って帰ろうと立寄ったスーパーでの出来事です。母は弱った視力(後に白内障で手術)の為か、末っ子可愛いさの為か価格を気にせずに牛も豚肉もチキンも構わずにパックを次々と買物かごに入れるのです。私はどうも様子が変な事に気づきました。母は既に買った同じ肉のパックを次々と入れているのです。
「こんなに肉を買ってどうするんだ?」、と私が聞けば、「・・こんなには肉は要らんよ、お前が入れたのかい」、と聞くのです。悲しいかな、この頃の私は上の二人の姉兄と同様、「母らしくないな、慌て者の母らしいな」、程度にしか理解していませんでした。今思えばこそですが、既に日常生活のいろんな場面で母には局所的に認知が始まっていたのだろうと思います。判断力がなくなっているのです。これは母が68歳の頃でしたが、この後にも訪問販売の勧誘に負けて簡単に購入してしまうなど、次々と自分を見失うケースが多発し始めたようでした。
☆認知の初期は不安感や怒り、沈黙。
母の認知は60歳代半ばから始まっていた気がします。厳しい話になりますが、若い頃の姉は証券会社に勤めていて、世間の例に漏れずに友人や実家への投資の勧誘をしていたようで、既に独居中の母は戦後の混乱期から買い求めていた電力株を姉に委ねた事がありました。
しかし、母には心のどこかに不安や怒りがあったのでしょう、その後の約2年間に渡って、「株券がない、どこに置いたんだろう」、「・・そう言えば、紘子が来て株券の話をしていた。紘子が持って帰ったのだろうか。そんな事をする子じゃない・・」、と熊本の私に毎晩のように電話をかけてきた時期があり、私が留守の時でさえ留守番電話に向かって喋り続けていたものです。当時の母にとっては余程の心配事だったのだと思います。
私が株券が母の元から離れた経緯を説明すれば、「そうだったのかい。紘子もいろいろと考えてくれているんだね」、と納得するのですが、翌日になると、「株券が・・」、と再び騒ぎ出すのです。無理もありません。母にとっては普通ではない日常になってしまっているのです。 戦後の混乱期に電力株を買い求めた者には特別な高配当をなされた時期があって、その後も特別株主として一般売出し価格よりも安く買えるという優遇された株券だったからでした。
この母の、「らしくない行動」は他にもあります。私と二人で行った父の墓参の帰りに肉を買って帰ろうと立寄ったスーパーでの出来事です。母は弱った視力(後に白内障で手術)の為か、末っ子可愛いさの為か価格を気にせずに牛も豚肉もチキンも構わずにパックを次々と買物かごに入れるのです。私はどうも様子が変な事に気づきました。母は既に買った同じ肉のパックを次々と入れているのです。
「こんなに肉を買ってどうするんだ?」、と私が聞けば、「・・こんなには肉は要らんよ、お前が入れたのかい」、と聞くのです。悲しいかな、この頃の私は上の二人の姉兄と同様、「母らしくないな、慌て者の母らしいな」、程度にしか理解していませんでした。今思えばこそですが、既に日常生活のいろんな場面で母には局所的に認知が始まっていたのだろうと思います。判断力がなくなっているのです。これは母が68歳の頃でしたが、この後にも訪問販売の勧誘に負けて簡単に購入してしまうなど、次々と自分を見失うケースが多発し始めたようでした。
Posted by 濱野裕生 at 16:02│Comments(0)
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