2020年12月25日
同居記録:08
同居記録:08
母との同居、嫁はもう反対。
佐世保から母を連れて帰ることを改めて嫁に電話で伝えました。「絶対に無理、連れて帰らないで」と嫁は必至に反対しました。無理もありません。この頃の嫁には腎臓疾患で数年も前から寝たきりで入院中の実母の食事や周辺介助の日々があり、嫁の言葉は現実的で非常に重みがありました。嫁は一日2~3軒を訊ねる訪問介護の本業があり、その仕事を終えると母親が待つ病院へ。その嫁が我が家へ帰宅するのは連日の20:30から21:00。嫁の大反対も無理のないことでした。
経済面で言えば全ての子供達が独立した長崎に住む実姉の紘子の家が妥当でしょう。しかし、単なる同居ではなくて介護同居であり、既にその同居に失敗した姉夫婦が「母の施設送り」を考えていた最中での現在でした。兄夫婦も姉夫婦も母との同居に失敗した現在、もう、母には行き場がなかったんです。無理をすれば兄や姉の家庭さえ壊しかねないと彼等は判断していたんです。
「俺たちだって同居を試みないことには自分の意見をもてないじゃないか」と、私は嫁を説得して熊本へ車を走らせたんです
母との同居、嫁はもう反対。
佐世保から母を連れて帰ることを改めて嫁に電話で伝えました。「絶対に無理、連れて帰らないで」と嫁は必至に反対しました。無理もありません。この頃の嫁には腎臓疾患で数年も前から寝たきりで入院中の実母の食事や周辺介助の日々があり、嫁の言葉は現実的で非常に重みがありました。嫁は一日2~3軒を訊ねる訪問介護の本業があり、その仕事を終えると母親が待つ病院へ。その嫁が我が家へ帰宅するのは連日の20:30から21:00。嫁の大反対も無理のないことでした。
経済面で言えば全ての子供達が独立した長崎に住む実姉の紘子の家が妥当でしょう。しかし、単なる同居ではなくて介護同居であり、既にその同居に失敗した姉夫婦が「母の施設送り」を考えていた最中での現在でした。兄夫婦も姉夫婦も母との同居に失敗した現在、もう、母には行き場がなかったんです。無理をすれば兄や姉の家庭さえ壊しかねないと彼等は判断していたんです。
「俺たちだって同居を試みないことには自分の意見をもてないじゃないか」と、私は嫁を説得して熊本へ車を走らせたんです
Posted by 濱野裕生 at 16:36│Comments(0)
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