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プロフィール
濱野裕生
濱野裕生

2020年12月18日

〇.始めに・④

〇.始めに・④

現在の私・。

 2020年12月、母を亡くして既に7年目を迎えようとしています。母親の介護を巡っては当初から最後の弔いに対する姿勢に至るまで意見の疎通ができなかった我が姉兄の二人とは一線を引いています。 その理由は、12年以上に渡る母との同居、その介護暮らしによって私自身の死生観、人生観が彼等の考えるものとは大きく乖離してしまった事です。 墓を移設して現世の見栄(世間体)に拘るのは確かに常識的で長男なら間違いのない考えと行ないです。それを、「そうあるべきだ」と指揮を執る長女の気持も理解できます。

 しかし、母亡き後にそれをしてどうなるんだという思いが私にはあります。「それはアンタらの今後を考えてのことだろう」・と。 墓の移設の前に「生前の母に対して示す何かがあったはず」・と。「墓に向かって為すべきそれより、生前の母に示す何かがあったはずだ」・と。 それと、長女、長男として私に示すべき何かがあるはず」・と言いたいのです。 

 この12年半の間のあんた等は海外旅行にゴルフに時間を割き、家では仏壇に手を合わせていた以外に「何をしていたんだ」と末っ子の私としては言いたいのです。仏壇に手を合わす暇があれば、せめて母親の手を握りに来れなかったのかと・。母のいる病院と兄の家との距離は車で僅かの10分、母は最後まで我が長男を理解できずに「裕生、あの大きな男は誰?」と私に尋ねていたんだぞ、と言いたいのです。 このような考えしかできない私ですから姉と兄には会わない方がいいのではないかと思って濱野裕生は日々を送っています。 多分、老いた親を介護する方々の中には私のような考えをお持ちの方はいらっしゃるのではないかと思います・。今や老いた親と老いの始まった長男の介護を弟夫婦がするケースも決して珍しくはありません。

また、先の熊本地震では母と12年半を過ごした住まいも失くし、代替えの家を郡部に入手したとは言え、移住の決意もできないまま、私は今もみなし仮設住宅に住んでいます。

現在の濱野裕生、1200ccの大型バイクに乗り、竹林に入っては菜箸や健康足踏み器、耳掻きや花瓶を作っては周囲の人にプレゼントし、その方々からの「ありがとう」という言葉を戴くことを唯一の喜びとしています。

 音楽・・、既に抜け殻になった私に何が残っているかと言えば、私の代わりになって歌い続けてくれる人材探し、そんなものでしょうかね・。 いつの間にか音楽は見るものと理解され、その大きな誤解のままで突っ走る時代はやがて破綻します。音楽は耳から入るものであって決して目からは音や言葉は伝わりません。耳から伝わるものでなければ音楽とは言えません。 残念なことに目から入る刺激の多くは脳にいつまでも留まっては人を強欲にし、まさに現代社会がそうです。今や世界中が目から入る商業音楽に猛り狂っているはずです。これは洗脳とも言え、痛ましい結果を呼ぶ紛争や戦争の前兆だと思えるほどです。
 
 耳から入る音楽は聴く者の心に響き、心を豊かにさせ、想像力を培っては絵を描かせます。 こんな風に思う濱野裕生の音楽に付き添ってくれる人がいつか現れることを願い、今も創作活動だけは維持しています。


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Posted by 濱野裕生 at 16:39│Comments(0)☆.はじめに・
 
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