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濱野裕生
濱野裕生

2020年12月24日

〇.独り言:02

◎老い、信頼

 いろんな方のお話を聞く限り、人は老いが進むに従って自分の先々への不安や焦り、それに近寄って来る周囲の人々への疑いを強くする傾向があるようです。否、これは動物たちだってそうだと私は確信しています。つまり、人であれ、動物であれ、それまでの日常の食事から身の回りの世話まで・、それまでに自分をお世話してくれた人に対する感謝の念を持つ一方、その己の死の瞬間に身を委ねていたい対象が日常の世話をしてくれていた人とは必ずしも一致しない・というのが私の以前から持つ印象です。

例えばペット。私はたとえペットであろうがペットとしては扱わず、あくまでも共同生活者として扱っていました。「オハヨウサン」、「ただ今、帰りました」、「今日はどんな一日だったネ?」、等々と本当に犬や猫とはいえ、普通に接していました。こうした思いで動物たちと接していると、ある時期から人間と動物の関係であってもある種の共通言語に近いモノが生まれてくるものだと思うようになりました。

それは正確に言えば気配・というモノでした。空気の揺れ・と表現できるものかも知れません。この空気の揺れ・みたいなもので意思の疎通ができるようになるのだと思っています。

我が家ではペットの食事や散歩は殆ど嫁の役目。でも、私がたまに散歩に連れて出た際でも帰宅してからは嫁同様にシャンプーやウンチをした後のお尻洗いなどもきっちりとやっていました。が・・、ある時期に気づいた事ですが、過去に飼ったペットであれ、現に目の前に居るペットであれ、身体に変調をきたした際には必ず私に気づかせるかのように私の目に触れるように奇妙な動きで己の体調不全を訴えるのです。嫁には助けを求めず、私に求めるのです。そして、過去に共に暮らしたペット達の多くの最期は必ず私の手の平の上で逝き果ててしまっていました。長い間、私はこの動物心理を考えました。

ペットらは己の近まる死期を気配として私に伝え、それを理解した私は「お疲れ様、これまでありがとう」、というようなコミュニケーションが何故か完全に取れていたようでした。その事を改めて私に自覚させてくれたのはチッチという1匹の黒い雌猫でした。

このチッチという黒い雌猫は戴いた獣医師さんの説明では欧州系ということでしたが、飼い主は親猫を優先させてこの黒のメス猫が生まれた直後に親猫から引き離して獣医さんのもとへ・・。獣医さんとしても副業でペット販売をされていた事もあって牛乳を温めて飲ませるなどして大切に育て、飼い主(買い主)がつく事を期待しておられたようですが、檻の中で大きくなる一方・。そこへ当時はポメちゃんを飼っていた私が現れて「あら・可愛い」、と声を掛け、避妊手術代金を支払うだけでロハで貰ってきていたんです。

この黒猫は親猫の愛を受けていない為、猫としての自覚を最初から持ってなく、オシッコの仕方もウンチの仕方も完全ではありませんでした。「お腹が張ってポンポン痛いよう」、と私に擦り寄り、私はお尻を指で揉んでウンチを出すことを教えたりもしました。こんな風だから寝る時だって私の布団に潜り込むや人間のように天井を見て仰向けに寝るような子猫でした。でも、やがて、私が面倒臭がりでオンナ嫌いだと分かると、直ぐに嫁の方へネェネェとくっついていくようになるのですが、当時の我が家にはオスの安(ヤス)というポメラニアンが居て、これがまた猫好きな犬だったんです。

話が飛びますが、これは以前の記事でも書いたのですが、このポメちゃんは近所の山本さんという方から戴き、実はこの山本さんはあのスザンヌの実家。スザンヌ・ことサエちゃんは小学生の頃から歌手になる夢があって、ずっと我が家へ通って嫁からボイストレーニングを受けていました。「あの子・、唄は××よ」、と私は言うのですが、天性の光るモノは確かにありました。周囲に気を使うこと、優しい、人の立場を直ぐに察する・、そうした周囲の気配を感じ取る能力は間違いなく持っている子供でした。しかし、気を使い過ぎてついついお喋りが多くなるという・、根っからの善人ですね。

さて、猫チッチさんの話に戻りますが、我が家で約21年間を過ごし、平成13年12月に亡くなったチッチさんは私には多いなる動物心理を次々と伝えてこの世を去りました。
このチッチさんは亡くなる5年ほど前から軽度の腎不全と診断されていて、体調を落とす度に近所の動物病院で背中からのリンゲル液の皮膚下点滴を受け、その中には抗生剤が混ぜられる瞬間を見ていた私は、ある時期からその抗生剤がオフロキサシン(じゃなくてもいい)という事を知り、インターネットで調べて数種類の抗生剤入りの目薬を常に冷蔵庫で保管してはペットたち専用の薬とするようになっていました。ペットに限らず生き物の最期って殆どが腎不全を発症しますよね。人間が使う抗生剤入り目薬はインターネット価格で¥2000程度。インシュリンだってネットで手に入ります。動物病院でこの手の点滴を受けると1回で¥4000は徴収されます。3日間は通って下さいと言われますからね。「医者が医者でなくなる瞬間だってあるはず、医を業としないのなら素人が医学を学んでも絶対に変ではない」、というのが私の持論ですからね。但し、目薬にはパラベンという物質が入っているから本当は使わないほうが賢明だと思うのですが、静脈注射で使わずに筋肉注射であれば緊急時にはペットの抗生剤として目薬を使っていました。

既に獣医さんからは何度も「もう、21年も生きたんですよ。死なせてあげるほうがいい」、と言われたチッチさんでしたが、そこはドッコイ・。濱野裕生は簡単には死なせない。具合が悪くなるとダラダラと涎を流しながら咳き込み、オエオエとカラ嘔吐を始めるチッチは「貴方、どうにかして頂戴」と言わんばかりに・・。ただオロオロするだけの嫁の横を通り過ぎて私の元へヨタヨタと・・。

我が家で約21年の老猫でしたからね。「また具合が悪くなったね」、と言いながら私は冷蔵庫から抗生剤入りの目薬を取り出して決められた量を背中から注射します(点滴キットは動物病院で売ってくれますが抗生剤は売ってはくれません)。あれほどに状態が悪かったチッチさんは翌朝になればシャキン・と。「裕生、昨夜はありがとう」、と。慢性腎炎ですから季節の変化には弱くて、世を去る前の5年間は年に2回は必ず危篤状態になっていました。

でも、こうした処置のお陰もあって、我が家のチッチさんは我が家で暮らすことで7~8年は命を永らえる事ができたのではないかと思いますが、多分、私の命への拘りがチッチさんへ伝わり、「生きていたい&生きていて欲しい」、という互いの思いの気配がこのチッチさんの寿命を延ばしていたのだと思います。気配って言葉ではありません。抱きしめる、顔と顔をくっつけて「チッチさん、頑張って」と念ずるだけでいいんです。

 しかし、結局は私のミスで平成25年11月に彼の地へ旅立ってしまいました。結局、医療行為というものは一定程度の体力が残っていなければできないんです。薬だって受け入れる体力があってこその効果なんですね。普段は2階に居る嫁の布団で寝ていたチッチさんが私のベッドに入り込むようになったのはチッチさんが亡くなる5日ほど前から・。「具合が悪そうね。注射しようか?」、という私の言葉を嫌がり続けた5日間でした。多分、「もう、いいです。これまでありがとうございました」、と言いたかったんだと思っています。

寝る際でも絶対に掛け布団には潜り込まずに頭を布団の外に出した姿勢でないと寝付けなかったチッチさんでしたが、この5日間というものは布団の奥深く、私の両足の脛の間でハァハァ・と苦しそうな息をしては私を寝かせませんでした。夜中の4時過ぎに注射をしようとするとやはり拒否するのです。
その後、私はチッチさんの様子を気に掛けながらも激しい睡魔に襲われるのですが、やがて、私は左足の脛に激しい痛みを感じるのです。でも、その後は痛みも続かずに私は眠ってしまったようでした。私はただならぬ空気の揺れ=気配というものをこの時ばかりは感じることができなかったんです。「そんなに重態だったとは」。これは私のミスでした。

このチッチさんが私の元を去ったのは平成25年11月6日。私が目を覚ました早朝の6:00にはチッチさんの身体は既に石のように硬くなっていました・。不覚にも私は熟睡してしまっていてチッチさんの最期を看取れなかったのです。

ただ、私の左足の脛には深さ5mm位の噛み傷があって、多少の出血痕もありました。「裕生、サヨナラね」、というチッチさんが残した私への思い・の噛み傷だったのだと今も反省しています。私のミス・・、それは「もう、私は十分に生きたよネ?。21年も生きたんだからね」、という余りにも刹那的で安易な私の判断・人生観だった・と思っています。
あの噛み傷・・、「やっぱり私は生きていたい。いつものように私を助けて」、というチッチさんの思いだったのではないか・とも思うのです・。それとも、「私のことを忘れないでネ」という意味だったのか・。

冒頭に、《気配=空気の揺れ》と書きました。周囲の者が「もう、いい。十分に生きたよ。このままでは生き地獄で可哀想だよ」、などという思いや発した言葉が気配となって本人に伝播し、空気の揺れとして部屋中に伝わるものだとすれば、それが介護師、看護師や主治医にまで伝わってしまうのではないかという恐怖感・は多くのデイ施設や病院で時折感じることがないとは言えません。奇麗事ばかりを謳い文句にしている介護施設や病院って・、ありますよね。決してシステムじゃなく、そこでヒトの為に働くヒトの質ですよね。

医療に関わる皆さん、これは決してペットの最期の話だ・とは受け取らず、どうかヒトの最期には己の人生観の押し付け意識は持たずに勤しんで欲しいと思います。「もういい。十分に生きました」、と判断するのは患者本人の側。その時点ではまだ神さえも死への決定権は持っていないと思うからです。チッチ、本当にごめん。そして、21年の間、ありがとう。君が私の足を噛んでまで伝えようとした死の瞬間は絶対に忘れません。


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Posted by 濱野裕生 at 17:14│Comments(0)☆裕生の独り言
 
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