同居記録:07
★:來熊翌日の3月29日、同居早々に認知が出た時の母の姿に呆然・。
客間として常に空き室にしていた和室に設けた母のベッド。この和室が母が使った最初の部屋でしたが、この部屋で最初の問題が勃発します。便意を催した母が「お義母さん、これを使って下さい」、と嫁の勧めるポータブルトイレの使用を拒否するんです。今思えば床の間があり、仏壇さえある畳の部屋で「トイレなんかできない」、と母は感じたのかも知れません。 [床の間や仏壇を横目にウンチ・]、なんて普通だと考えられませんからね。でも、当時の私にはその辺の古い考えを持つ母の心理を思い遣る気持ちなんてなかったのです。しかし、母にも譲歩しなければいけない事態が起きてしまいます。
ポータブルトイレの使用を拒否した母が嫁の介助を受けながら和室から4mほどの距離にある風呂場横のトイレに向かう母が我慢できずに途中で失禁してしまったのです。
「あッあれ?・ホホ。オホホ」、と母が照れ隠しに笑う度にオシッコがピュッピュッと・。
嫁の叫び声で驚いた私の目には立ったままの母の身体から放出されるもの凄い勢いの尿でした。そして、尿が終わると今度は大便が噴出し始めたんです。でも、嫁も私も思わず母の便を掌に受けましたね。
今でこそ思うことが出来るのですが母は母なりに迷惑を掛けたくない一心で我慢をしていたのだろうと思うのです。「あはは、あはは。・私もつまらん女になったもんだ」、と母は自虐的に自分に呆れ、責めているんです。本当に自虐的な表情でした。母は、「私が片付けるからいい。貴方達の手は借りない。ごめんよ、ごめんよ」、と。 でも、次の瞬間には片付けようとする私達の姿を見ていた母が猛烈に怒り始めるんです。
「何故?・。何故、貴方達はそんな汚い事をするの?。何故、私に片付けさせないの?」、と・。
そして、「お義母さん、お風呂場で身体を洗って綺麗にしましょう」、と言う嫁を母はあらゆる言葉を使って罵りました。 心身喪失と言っていいのか、自分が何をしているのか、何を言っているのかが全く分からなって半狂乱になっている母・。熊本の我が家で最初に目撃した老いた母の最初の姿でした。
★:母が転倒
そして、この日は母にも私達夫婦にとっても最初の大きな試練が訪れるのです。
嫁が訪問介護の仕事に出掛けた後の私は仕事を休み、和室のベッドに横になった母を背中にしながら居間に転がっては春の選抜高校野球大会のTV中継を見ていた時の事です。いつしか居眠りを始めてしまったのか私は背後のもの凄い音で目を覚ますのです。母が和室から出ようとしての転倒でした。ベッドで退屈した母が居間で横たわる私の居眠りに気づき、毛布を掛けようとベッドの柵を掴みながら立ち上がった末の転倒で、和室と居間の段差で足を踏み外して転倒をしたのです。以前からの左足股関節骨折に加え、この転倒で右足の動脈を損傷した母は完全に寝たきり状態になるのです。
この後、私は長期の職場離脱をして完全に勤務ローテから離れる事になります。自分で経営する会社とは言え、私自身でも現場に立ってきた身です。私の不在時間の職場を埋める為のパートさんへの出費は必須ですから私の収入は大幅にダウンする事になるのです。
[居眠り]という私の不注意で母を転倒させ、完全に歩けなくなった母の処遇を巡っては嫁は一言も言わなくなりましたが、ヒシヒシと寄せてくる生活苦が堪えないはずがありません。でも、ここは無視するしかありません。私は介護機器リース会社から車椅子を借りて足の腫れの残る母を連れて立田山自然公園に連日のように向かうようになるのです。